mixiユーザー(id:8306745)

2016年08月01日19:37

218 view

『シン・ゴジラ』鑑賞(一応、ネタバレなし)。

ネット界隈では打ち震えるような
感想をよく見かけるので、手酷い
ネタバレ(乃至は熱狂を生んだ作品が
副次的に呼び寄せるdis)を食らう前に、
是非劇場で見ましょう、と夏休み中の
妻と連れ立ち、映画館へ。

まず特徴的だったのが、客の中に
子供ゼロ(笑)。夏休み中の
怪獣映画だ、ってのに。

でも、これはこの映画の本質であり、
その評価が正しく為されている事なのだ、
と鑑賞後に思う。

そう、この映画は「怪獣映画」ではない。
「人知では対抗し得ぬ大規模災害に、それでも
立ち向かう人々」と云うテーマであり、
「背負う者の責任」の映画であり、
「守る事とは何か」を問う映画でもある。

事前に、「憲法9条を批判している映画だ」だの
「自衛隊の出動の阻害を描く事で、アベの憲法改正を
後押ししようと云う国策映画だ」だのと云う
いい湯加減で発狂している感想も見掛けたが、
過去のゴジラ映画と比してみて、この映画の
「日本国」と「自衛隊」と「米軍」の描き方は
一番リアリティがあった、と思う。
『ゴジラ』には米軍は影も形もない。そして
85年版には米国はもっと杜撰で危険な描き方を
されていた。『シン・ゴジラ』はその辺りの
欠点を綺麗にクリアしブラッシュアップして
提示している。

この映画は、使い古された文句だが「大人の映画」なのだ。
『ゴジラ』が明白に戦争のメタファーであったように、
今回のゴジラは「大規模災害」と「暴走する核(原発)」が
仮託されている。更に、水爆の生んだゴジラを
倒す為に更なる超兵器であるオキシジェンデストロイヤーを
行使するような「上を行く兵器でぶっ殺す」戦場のエスカレートを
この映画は採用しない(故に、ゴジラがありのままに
単なるゴジラであり、超兵器を安易に登場させて戦わせる
85年版は退屈であるだけでなく駄作なのだ)。
そのゴジラの倒し方は、庵野が一切関係がない
ある近未来警察ロボット物(作品名云っているような
もんだな)のある怪獣物を想起させた。

そう、この作品は当然の事ながら現在造り得る最高の
「ゴジラ」であるだけでなく、庵野印のエヴァの要素も
ふんだんであるだけでなく、様々な特撮の先行作品への
オマージュに満ちている。エヴァは「引用」に満ちた作品で
あるが、その手法はダイレクトであり、「意匠」でしかない。
咀嚼し、血肉化された物ではなかったのだ。それがある意味での
庵野秀明と云う稀有な映像作家の「稚気」であり才能でもあるのだが、
どこか子供っぽさは拭えなかった。

この映画は、そうした意味でも、「大人の映画」なのである。

個人的に、ラストのあるメイン登場人物二人の会話は、
『妖星ゴラス』を連想した。それくらい、希望に満ちた
「大人の仕事」の締め方だったのだ。

こんな映画を作れると(現在進行形で『シン・ヱヴァンゲリヲン』を
ほったらかしている庵野なんだから尚更だ)全く思っていなかった。
その不明は素直に誤りであったと認めたい。

素晴らしい、劇場で見る価値のある映画だ、と思います。

是非是非。

3 10

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する