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2016年07月30日16:05

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元祖・兄貴〜ィ は・・・

傷だらけの天使のオサムちゃん?

それとも、コント赤信号の渡辺?


■水木一郎”アニキ”と呼ばれて約20年 なりきって歌うことが”アニソン愛”
(THE PAGE - 07月30日 12:11)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=177&from=diary&id=4119311

 アニメソングのパイオニアであり、今なおトップを走り続ける”アニソン界の帝王”水木一郎さん。アニキという愛称で親しまれ、ウィキペディアに90言語で掲載されいる、世界一有名な日本人とも言われている。

 今年はアニソン歌手デビュー45周年。実力はもちろん、「歌うことが楽しい」「歌えることが幸せ」という気持ちで駆け抜けてきたという。熱い”アニキ”としてのキャラクターはいつどうやって誕生したのか、そもそもアニソン歌手になったきっかけなどについて、秘蔵の写真を公開しながら、水木さんが語ってくれた。

”アニキ”と呼ばれ始めたのはいつから?

 これにはいろいろな説がありまして、NHKの歌のお兄さんをやっていたからという説と小堺君と関根君の人気ラジオ番組『コサキン』で僕は「あにぃ」って呼ばれていて、お兄さんからあにぃ、さらにアニキへと変化していったのがまず一つ。

 それから、1997年、かつて僕たちの歌を聴いて育った人たち向けに赤坂ブリッツでスーパーロボットのライブやったとき、マジンガーZで出て行ったら、みんなで大合唱になりました。さらに、ファンの皆さんが「アニキ―」って叫んでるんです。なぜ「アニキ」なのかって僕自身の分析だと、自分が子どものときに聴いていたアニメの歌を歌っていた人が出てくるから、当然おじいちゃんになってるかも、ってファンの皆さんは思ってた。ところが姿も声も変わっていなかった。それで、アニキになっちゃったんじゃないかな。客席から一斉にアニキコールが起きたんですよ。約2000人くらいいたのかな。大勢の人にアニキって呼ばれたのはこれが初めてでした。アニキコールは来年でちょうど20年になります。

”アニキ”のキャラクターはどうやってつくられたのか

 これね、僕、意識しているわけではないんですよ。だから、”アニソン界の帝王”と呼ばれていますが、自分ではそんな風格ないんじゃないかと思っています。最近はイタリア人の方が”銀河の大統領”って呼んでくれているらしいですね(笑)正義というか、弱い者への愛など、僕自身はそういう気持ちは持ってますけど、なんでアニキになったのかはよくわかりません(笑)。

 海外ですと、水木一郎というよりもアニキのほうが通りがいいですね。上海万博にゲストで呼ばれたときに、表が何やら騒がしくて、みんな何騒いでいるんだろう、ってマネージャーに言ったら、「何言ってるんですか。みんな、アニキって呼んでいるんですよ!」。ライブが始まる前から、フィギュアやレコードを手に持ってすごく盛り上がっていて、男の子が感動して泣いちゃうくらいなんですよ。日本のファンの方だと、またライブに行けば会えるって感覚なんでしょうけど、海外のファンは今度いつ会えるのかわからないし、この機会を逃したらもう最後かもしれないって思いなんでしょうね。必ず泣くんですよ。これは日本でのことなんですけど、ブラジルから来てくれたファンがライブ会場で入り待ちしてて、「アニキに会えた」と言って感激して泣いているんです。ほんとに大粒の涙を流して。そこまで感激してもらえるとうれしいです。日本の人もそうだけど、ヒーロー番組の歌を歌っている人ということで、特別な見方をしているのかな。とにかく、アニソンを歌っていると、格別なリスペクトを受けることがありますね。

 僕がアニメソングを歌い始めた当時は、番組の作り手も、アニメソングを手掛けた方々も歌い手も、誰もここまで盛り上がるとは想像できなかったんじゃないでしょうか。ただ僕は子どもたちのためにいいもの作ろうって思いでやってきて、気がついたら45年経っていた。テレビを観て応援してくれた子どもたちに本当に感謝としか言いようがない。そのときにみんなが覚えた感動が今も残っているから、アニソン業界はここまで発展することができたんですよね。

アニソン歌手になることに抵抗はあった?

 初レコーディングは、17歳、高校生のときに歌った『シェナンドー』というテレビ映画の日本語版主題歌でした。思えば、僕のルーツはやはり主題歌だったわけですが、それは販促用のソノシートだったので、正式なレコードデビューは20歳のときに出したカンツォーネ歌謡になります。それもアニメにしたらいいような、ロマンチックな歌でしたが、いっこうに泣かず飛ばずでしたね。それでもシングルを5枚ほど出させてもらいました。 

 そんなとき、アニメや特撮番組を手掛けていた東映さんと、その主題歌をリリースしていた日本コロムビアで、アニメソングを専門に歌う歌手を育てようという流れになったんです。それまでは少年少女合唱団やコーラスグループがほとんどで、ソロ歌手が本格的に取り組むことはあまりなかったんです。女性は堀江美都子、大杉久美子といった少女たちがアニメソングの英才教育を受け始めていました。しかし、ヒーローソングの歌えるパンチのある男性歌手がなかなか見つからない。

 堀江が『12歳の神話』という曲でデビューする前に、僕が歌を習っていた作曲家の先生のところにレッスンに来ていました。先生が堀江に「このお兄ちゃんが歌うから、覚えるんだよ」と言って僕に手本を歌わせました。そのときの僕の歌を聴いていたディレクターが後に僕に声をかけてくれたことがアニソン歌手への転身の第一歩でした。アニソンデビューは『原始少年リュウ』でした。うちのおふくろの影響ですかね、もともと映画音楽が好きだったので将来は映画主題歌を歌いたいと思っていたし、テレビアニメも映画と思えば歌っている人の顔がないのは当たり前だと思って、すんなりと入っていけました。

 よくね、マスコミさんは、「最初は嫌だったでしょう」って聞いてきますけど、そう言わせたいんですよね(笑)。僕の場合、歌が本当に歌いたかったし、抵抗はありませんでした。当時のアニメは最低1年間は放送していましたから、主題歌のほかにも、挿入歌なども合わせると、1つの番組でだいたい1枚のアルバムができるくらい、新曲をレコ―ディングしていましたね。同じ時期にいくつもの番組を担当していることも多かったので、ほとんど毎日、コロムビアに通っていましたよ。当時は今のようにデモ音源を受け取ったりすることはないので、譜面だけを頼りに練習します。それから、ピアノスケッチっていうんですけどね、作曲家の先生のピアノ伴奏で歌を合わせていくんです。その時に、譜面を変えたりすることもあるんですけど、そこですぐに対応できないような歌手には次の仕事はこない。そういう時代だったんです。おかげでずいぶん鍛えられましたよ。

1000曲ライブも成功させ、世界一の声帯の持ち主と言われてます

 喉のケアは、ほとんどしていませんね。もともと声帯が強いんでしょうね。強いて言えば、うがい、手洗いくらい。若い頃に、誰にも負けないくらい発声練習をしたことが、今につながっているのかもしれません。歌手になりたいという情熱は子どもの頃からありました。中学の頃から発声練習を始めて、雨が降ろうがヤリが降ろうが365日欠かさず続けていました。

 高校時代には既にステージデビューを果たしていたので、夏冬春休み、土日はライブハウス、昔でいうとジャズ喫茶っていったんですけど、東京や横浜で昼5回、夜5回、深夜5回とステージに立って、朝の5時くらいまで歌っていても平気でした。とにかく歌っているのが楽しくてね。当時はカラオケなんてなくて、生バンドなんで余計に楽しくて。ドラムをセットしたり、ギターをチューニングしたりするのもいい勉強になりました。歌うのがつらいと思ったことは一度もない。今でもステージ、レコーディングスタジオに入ると昔のままの気持ちです。全然変わらないです。

 そうしなきゃいけないっていうのを教わったのが最初の『原始少年リュウ』のとき。エンディングを堀江が担当し、先に20分くらいでレコーディングを終えたんですね。僕もそれくらいで終わるだろうと思っていたら、全然終わらなくて。なんでなんだろうな、と思っていたとき、リュウについての説明を聞いたんです。そのときはじめて「俺は水木一郎じゃなくて、リュウなんだ!」とスイッチが入って、すぐにOKが出ました。それ以来、バロム1であれ、マジンガーZであれ、ロボコンであれ、それぞれのヒーローになりきることを大切にしました。そうすればヒーローが歌に力を与えてくれる。それが愛なんです、アニソン愛、特撮愛です。

 「どうせ子どもの番組の歌でしょう」って思っている人が多かったですね。イベントなどで演奏するバンドの方々は大抵ビックリされていました。ナメてかかっていると、難しくて弾けないんですよ。当時のアニメソングは、子どもにこそ最高の音楽を提供しようという心意気で作られていましたからね。メロディアスなギターのリフ、複雑なベースライン、歯切れのいいブラス、強弱の効いたストリングス……、みんなビビっちゃう。アニメソングに対する世間の評価が低いと感じる場面は多かったですね。どんなに売れていてもヒットチャートにはランキングされなかったり、レコード店でも目立つ場所には置いてもらえなかったり。

 でも、僕はそういうのを全部バネにしちゃうんで、今となってみれば「ありがとう」と言いたいですね。周りにどう思われていようと、目の前の子どもたちのために歌うだけです。正義とは何か、愛とは何か、友情とは何か、それを伝えるためなら、歌うステージがミカン箱であろうが何だろうが構わずやってきましたね。最初は、僕の顔なんてみんな知らなかったんですよ。それでも、歌い出したら、「あぁっ、あの歌を歌っている人」ってなるんですよ。水戸黄門の印籠みたいにね。

 以前は「お兄さんはこういう歌、歌ってっているんだよ、みんな知っているかな?」って、言いながらイベントしていたものです。最近はおかげさまで顔を見ただけでも、わかってもらえるようになりました。バラエティー番組のおかげですね。 

 

アニメが文化になっている

 今では アニメがきっかけで日本に憧れてやってくる外国人もいます。アニメソングで日本語を覚えましたという人も増えています。よく日本で活躍している外国人タレントさんにも、「小さい頃、歌を聴いてました」と言われることがあります。大人になって調べてみたら、あの歌もこの歌も同じ人が歌っていたのか、と驚く人が多いんですね。そればかりか、ガッチャマンもデビルマンも海のトリトンもみんな僕が歌っていると錯覚しちゃう。ならば、ということで、カバーして水木一郎バージョンとして歌っちゃってます。逆にほかのアニソン歌手の方も僕の歌をカバーしてくれて、それもうれしいんです。共有財産と言うんでしょうか? スタンダードだって、いろいろなアーティストが歌っているでしょう?

 外国人のバンドもカバーしてくれてます。「Z」を「ズィー」って発音する国でもちゃんと「ゼーット」って歌ってくれますし。願いがかなうなら、これからも声が続く限り、僕を待っていてくれる世界中のファンのもとへ行って歌いたいですね。そして、僕の歌をカバーしてくれているバンドとコラボできたら面白いな、って思います。

■水木一郎(みずき・いちろう)■
アニメソング のパイオニアであり、今なおトップを走り続ける「アニメソング界の帝王」。「アニキ」の愛称で親しまれ、テレビ、ラジオなどでもそのキャラクターを存分に発揮。1968 年にデビュー以来、71 年の『原始少年リュウ』主題歌に始まり、「マジンガーZ」「キャプテンハーロック」などのアニメソングや「仮面ライダー」シリーズなどの特撮ソングを次々と歌い続け、持ち歌は1200曲を越える。日本コロムビア 水木一郎アーティストサイト(http://delta.photo/
【リリース情報】
水木一郎グレイテスト★ウルトラマンソングス
水木一郎withボイジャーと水木一郎ソロの『オーブの祈り』、昭和のウルトラマン主題歌6曲のカバーほか、レア音源を含む全21曲を収録。7月20日発売。2400円+税。発売元:日本コロムビア

※撮影協力、+CHARMAN+(シャーマン、代官山)、撮影:山本宏樹/deltaphoto(http://delta.photo/
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