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2016年07月20日13:11

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軍蜂起はトルコ混迷の始まりか 狡猾なエルドアン氏から目を離すな フジテレビ特任顧問、明治大学特任教授・山内昌之

 下記は、2016.7.20 付の【正論】です。

                        記

 7月15日から16日にかけて生じたトルコ国防軍の一部による武装蜂起は、多数の犠牲者を出しながら鎮圧された。国防軍の長い伝統に回復不能と思える汚点を残しただけでなく、トルコの信用や国民統合に亀裂を入れる醜聞に他ならない。最近頻発するテロと相まって、中東で一番安全だったトルコは今や不安定な国家に成り下がった。それにしても、愚かな武装蜂起を挫折させて「トルコの民主主義は守られた」と評価する場合に、エルドアン大統領の権力の性格に触れることも不可欠である。

 ≪プーチン氏と同様の権力支配に≫

 まずエルドアン氏と公正発展党(AKP)政権の転覆を図った今回の事件はいかに定義されるのだろうか。これまで20世紀に3回ほど成功したトルコ軍の決起なら、その戦略的な政治目標やリーダーの公然性などから、「政変」(クーデター)と呼べる。今回は、選挙で選ばれたエルドアン政権への「武装反乱」であり、市民に銃口を向けながら部隊運用に踏み切った軍法違反では「軍事テロ」ともいうべき性格をもつ。

 1923年にヒトラーやルーデンドルフが企て半日で鎮圧されたミュンヘン一揆の「一揆」(プッチ)の観念に近いかもしれない。ミュンヘン一揆に軍人とナチス党が参加し、ワイマール共和国を否定した事実と比較するなら、エルドアン氏は軍の反逆者と政敵ギュレン運動が結びついたと言いたいだろう。在米のギュレン氏の送還とギュレン派将校だけでなく、関係した法曹人や言論人の一掃を企てるのは確実である。世俗主義と政教分離を奉じる軍人と官僚を粛清することで、トルコ社会のイスラム化が一層、進むに違いない。

 エルドアン氏は、最悪の文民政府でも最高の軍事政権よりもはるかにましだという政治の金言を根拠に、大統領制の強化に邁進(まいしん)するだろう。それはロシアのプーチン大統領のように、個人権力の永続化と権威主義独裁の長期化を望む権力になる。手続きは選挙を尊重し、統治理念は法の支配であっても、政治手法は異論を許さず、批判イデオロギーを全て封殺するのは、プーチン氏とも異なるエルドアン氏独特のものである。

 ≪法秩序の擁護者を否定した軍≫

 氏の政治手法はエジプトのモルシ元大統領らムスリム同胞団に似ている。選挙では米欧に批判されないように、政治的複数主義や批判的世論を許容するが、権力を掌握すると目立たぬようにイスラム化を進め、次第に権威主義と独裁性を強めていく手法なのだ。違いは、エルドアン氏の方が巧妙かつ狡猾(こうかつ)だという点にすぎない。

 そもそも「イスラム国」(IS)に寛容だったエルドアン氏は、その娘婿がエネルギー大臣としてISからの石油密輸に関与し、プーチン氏にシリアからトルコに流入する「略奪された石油」を運ぶさまを「動くパイプラインだ」と言わしめた。その実子はシリアの考古学遺品の密売や湾岸産油国の利権に絡んでいるとも囁(ささや)かれている。この政権は法の支配と言論の自由を保障する健全な民主主義の担い手とは言い難い。

 しかしエルドアン氏が「悪」であっても選挙で選ばれた文民政権であり、民主主義の本質は好き嫌いの問題でないことだ。そして、21世紀の国防軍が憲法を軸にする法秩序の擁護者としての実存性を自ら否定した罪は重い。未熟な反乱軍は21世紀の通信技術と市民の政治意思を過小評価した。それは1970年代の戦術レベルによる「最低のテロ蜂起」になった。60年、71年、80年のクーデターと比べると、軍の統一意思もなく政変を革命に高める目標や理念も欠いていた。最初から「不可能な革命」だったのである。

 ≪苛烈な報復に監視の目を≫

 イスタンブール空港やボスポラス大橋、アンカラの国会や参謀本部の一部を占拠したのは20世紀型の古典的戦術だった。保養地にいたエルドアン氏やAKP首脳の身柄を押さえず、携帯電話やソーシャル・ネットワーク・サービスを使用不能にする21世紀型の政変手法を編み出したわけでもない。

 エルドアン氏は、批判的な有力紙『ザマン』の閉鎖などメディアへの強権発動で知られている。今回皮肉なことに、彼の生命を救ったのは各種メディアの協力である。ビデオ通話アプリの「フェイスタイム」をテレビ局のリポーターがスマートフォンにつなぐことで、CNNトルコを通して生の全国放送でメッセージを伝えた。首相や前首相らもツイッターやフェイスタイムを使って、反乱軍への抵抗を呼びかけたのである。

 エルドアン氏は、最新コミュニケーション技術の威力を思い知ったはずだ。彼はフェイスタイムやツイッターを通した多彩な意見表明に寛容になるべきだろう。しかし、これまでの政治手法に照らすと、むしろコミュニケーション技術への警戒心を高める可能性が高い。事変への苛烈な報復として死刑を復活する可能性もある。市民のネットワークに助けられたエルドアン氏は法の支配や人権擁護にどう向かいあうのか。国際社会は監視を怠ってはならない。(フジテレビ特任顧問、明治大学特任教授・山内昌之 やまうち まさゆき)

 http://www.sankei.com/world/news/160720/wor1607200028-n1.html
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