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<あらすじ>
人間は、魂−精神−身体の3層からなっている。
魂はいつも神性を体験したいと望んでいる。
魂が望む神性を体験できるように、神(と魂)は人生の出来事を用意する。
その出来事に出会ったとき、精神は自分の価値観で価値あると判断されるものを選択する。
魂レベルの意志と精神レベルの意志とは、必ずしも一致しないので、その人間からすれば、自分の意図に反した結果が現実には起きてくる。
ところが魂のレベルでは、意図した通りの神性を体験し成長している。
高次に進化したキリストや釈尊などのマスター(師)は、魂と精神の意図は一致しているため、現実全てを受容することが出来る。
1.魂は計画どおりの経験ができるようにと、正しい完璧な機会にあなたを導く
魂が求めているこの「わたし」には非常に複雑で、非常にたくさんの層、感覚、面がある。
「わたし」であることを求める魂には、壮大な仕事が待っている。「在り方」の厖大なメニューのなかから選ばなければならない。いま、この瞬間も魂はそれをしている。
正しい完璧な条件を創り、その条件のなかで経験を創り出している。だから、あなたに起こること、あるいはあなたを通して起こることで、自分の最高の善のためにならないことは何もない、というのは真実だ。
魂は、計画どおりの経験ができるようにと、正しい完璧な機会にあなたを導く。実際に何を経験するかは、あなたしだいだ。
身体、精神、魂が一体となって調和し、ともに創造するとき、神が肉体化する。そのとき魂は自らの体験のなかで自らを知る。そして、天はそれを喜ぶ。・・・「神との対話1」
あなたがたは他者が歩む因果の道を、善いとか悪いとか判断してはならない。
成功をうらやまず、失敗を憐れむな。魂の決算の時がきたら、何が成功で何が失敗になるかわからない。ものごとを災難とか、喜ばしい出来事とか言うのは、それをどう活用するかを決めてから、あるいは見届けてからにしなさい。・・・「神との対話1」
人間は、魂−精神−身体の3層からなっています。
魂の目標は、神性を体験し成長していくところにあります。魂はいつも神性を体験したいと望んでいます。それが魂の存在目的なのです。
魂が体験したいと望む神性を、体験できるように魂と神は、人生の出来事として用意します。
その出来事に遭遇したとき、それにどう対処するかは、人間の精神の判断、選択によって決まります。
人間の精神は、生まれもった性格、能力、生育歴、置かれた環境などによって形成され、各人が各様の価値観を持っています。金銭に価値を置く人、名誉や地位を欲する人、真理探究を目指す人、人類愛に生きる人など、人それぞれの価値観を持っているのです。
人生の出来事に出会ったとき、精神は、その人間固有の価値観に照らして、価値あるものと判断されるものを選択します。価値観が、その選択に大きく関わってくるのです。
ところが魂レベルの意志と、精神レベルの意志とは、必ずしも一致しないのです。というより、高次に成長していない精神レベルでは、魂の意志を感得できないのです。
すなわち精神は、出来事の場面、場面において、おうおうにして、魂の意図するところと違った選択、決定をしていきます。そのためにその人間からすれば、自分の意図に反した結果が、現実には起きてくることがあります。
例えば、魂が「悲嘆」という神性を体験したいと意図し、その人の人生上の出来事に事業をおこすチャンスを用意したとします。
精神が金持ちになりたいという価値観を持っていれば、そのチャンスに、金儲けの事業をおこします。人類愛に価値を置く人ならば、人助けをする事業をおこすでしょう。
ところが前者の場合、金儲けという精神の意図に反して事業に失敗したならば、その個人は、人生の夢が破れて、悲嘆にくれることになります。精神は、魂の意図を読めませんから、この出来事は人生の失敗としかとらえられないのです。
しかし、魂のレベルでは違います。魂は「悲嘆」という神性を体験することを意図し、その神性を体験し得たというのです。魂のレベルでは、意図した通りの神性を体験し成長したというのです。
高次に進化し、成長した個体(キリストや釈尊など−原著では彼らをマスター(師)と呼び、他にも多くのマスターの名を上げています)では、魂の意図を精神は理解でき、魂と精神の意図は一致しています。そのために、現実で起きた結果全てを受容することが出来るというのです。
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