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2016年06月17日19:39

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悲観主義は気分、楽観主義は意志


「アバタもエクボ」とか、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」といいます。
その人の気分や感情によって、同じものでも見方が違ってくるという意味です。

こうした気分次第で見方が変わっていくと、かけがえのない自分の人生が、気分中心の流れにに任せることになり、悔いが残ることになると思います。

こうした場合、幸福論で有名なフランスのアランの言葉は、私の心の支えになってくれました。

「悲観主義は気分だが、楽観主義は意志である」


たまたま先ほど坪田一男氏「老いに勝つ!10の秘訣」を開いてみると、そのアランの言葉が出ていました。以下、転載します。

フランスの哲学者アランの言葉に、
「洗練された表現を使えば、悲観主義は気分だが、楽観主義は意志である」
というのがある。

この言葉を聞いた時に、やっぱり哲学者はすごいと思った。
昔から楽しく生きようと決意していた。“ごきげん”をキーワードに生きようと考えて、サンマーク出版から『ごきげんからうまくいく! 』という本を出版したのはもう10年前になる。その本の中で言いたかったこと、1冊かけて表現しようとしたことを、このアランの言葉はすべて表現している。さらには、アンチ・エイジングの思想をもこの言葉は言い表している。

僕はご機嫌を選択することによって人生がうまくいくのだ、という考え方を書いたが、
「楽観主義は意志である」という表現が、選択を越えた崇高さをかもし出している。

「悲観主義は気分」。この前置きもいい。気分なんて気まぐれなものに自分の人生を決めていていいんですか? 自分の向かっている方向は自分の考え、意志で決まるんじゃないですか? というメッセージが伝わってくる。この論理を受け入れるとしたら、人間は本来楽観的な動物であるということになるだろう。なぜって意志を持った唯一の動物なのだから。

気分はうつろいやすいもの。体調が悪くなれば気分も悪い。雨が長引けば気分が悪い。家族と離れていれば気分が悪い。自然主義的な考え方では、自分のフィーリングを大切にする、自分の感性を大事にする。これは世界を楽しむにはとても大切なことだ。しかし、気分は結論ではない。意志ではないのだ。

風邪をひいて気分が悪い。でも、今日も仕事ができて、ごきげんだ。
信頼している人にだまされてしまった。でも、僕がだます方じゃなくてよかった。
予定していたプランがうまく運ばなくて気分が悪い。でも、体は元気。家族も元気だ。

本当に死ねなくなるかどうかはさておき、健康的な生き方が選択できる。最終的に病気の多くが遺伝子にあるとしても、その時の気持ちの持ちようで発症率が変わるということが証明されている。運動するか、しないか。何を食べるか、どう生きるか。僕たちは自分の意志でこれらを選択していえる。

まさに、アランのいう、「悲観主義は気分だが、楽観主義は意志である」に、アンチ・エイジング的生き方は通じているのである。


坪田一男氏プロフィル:
1955年生まれ。慶応義塾大学医学部教授。2001年、米国加齢医学会の認定医になり、日本における健全なアンチ・エイジングメディスンの普及に取り組む。「100歳まで生きる不老の方法」【宝島社】他著書多数。


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