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2016年06月16日09:38

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遅きに失した舛添知事辞職 それでも菅元首相よりまだまし

 下記は、2016.6.16 付の【阿比留瑠比の極言御免】です。この菅直人が首相の時は、いろいろ天罰が起きましたね!東日本大震災、そして菅直人の出しゃばりで、原発の故障が事故にまで拡大発展してしまいました。更に防衛に関する国家機密が中国や韓国に流れ、公安情報が左翼過激派にまで漏れてしまいました。その被害は甚大で、日本は国家として崩壊寸前にまで、進んでしまっておりました。やっと安倍政権で、立て直し始めて、現在に至ります。

                        記

 政治家の出処進退は難しい。情勢を見切り、潔く職を辞すと無責任な投げ出しと批判され、粘りすぎると地位に恋々としてしがみついていると嘲笑される。東京都の舛添要一知事が政治資金「公私混同」問題をめぐって火だるまとなり、15日に辞職願を出したのを見て、改めてそう思った。

 それと同時にちょうど5年前、鳩山由紀夫前首相(当時)と交わした「平成23年度第2次補正予算案の編成のめどが立った暁には身を捨てる(首相の座から降りる)」との約束をあっさりほごにし、鳩山氏から「ペテン師」呼ばわりされた菅直人首相(同)を連想した。

 菅氏はこのとき、あえて退陣をほのめかすことで、内閣不信任決議案に身内である民主党(現・民進党)議員が造反して賛成する芽を摘んだ。そしていざ不信任案が否決されると、党執行部らに辞職を迫られながらもさらに約3カ月もそのまま居座り、国政を混乱させ続けたのである。

 「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」

 筆者は当時、産経紙面で菅氏にこの明智光秀の娘、細川ガラシャの辞世の句を贈り、「一刻も早い退場を」とお願いした。これは、細川護煕元首相や小泉純一郎元首相も、退陣の際に引用した句でもある。

 だが、菅氏は日本人の多くが共有する無常観、ある種の諦念を持ち合わせていないのか聞き入れなかった。菅氏はその後も、23年9月2日の正式退陣まで秒読み段階の8月29日になって、唐突に朝鮮学校への高校授業料無償化適用手続きの再開を指示するなど、立つ鳥が跡を濁し続けた。

 これに比べると、遅きに失したにしろ、舛添氏の今回の決断はまだましだったと言えよう。少なくとも首相退任後の10月、東日本大震災の被災地や仮設住宅ではなく、趣味の四国霊場八十八カ所を巡るお遍路を「延命寺」から再開した菅氏よりは理解できる。

 そこで舛添氏には、曹洞宗を開いた道元の次の言葉を贈りたい。

 「花は愛(あい)惜(じゃく)に散り、草は棄(き)嫌(げん)におふるのみなり」

 花は惜しまれても散ってしまい、雑草は嫌われつつも生い茂る。本来は、人間の都合で善しあしや自然の摂理を決められるものではないという意味だろうが、一般的には花は惜しまれるうちに散るべきだという文脈で用いられている。

 その方が多くの日本人の感性、美意識にそぐうからではないか。ここまで東京都民の信を失ってしまえば、政治的にはもはや事態は「是非に及ばず」なのである。「支持率が1%になっても辞めない」と言い放った菅氏と同じになりたくなければ、できるだけきれいに去った方がいい。

 一方、民進党の岡田克也代表が15日、早速記者団にこう述べ、次期都知事選での独自候補擁立に意欲を見せたのには興ざめした。

 「早く辞めるべきだと言ってきた。舛添氏にはもっと早く意思決定してほしかった。これだけの混乱が猪瀬直樹前知事も含めて続いている。安倍晋三首相、自民党の責任は重いと思う」

 舛添氏を推薦した責任を問うのはいい。ただ、それを言うなら、鳩山氏や菅氏を首相にした旧民主党の責任の重さは比較にならない。政府・与党を批判するのは野党の仕事の一つではあるにしろ、自分は何一つ反省せずに他者ばかりあげつらう姿はみっともない。

 岡田氏は自らと自党の政治責任に関しても、少しは自覚すべきだろう。

 (論説委員兼政治部編集委員)

 http://www.sankei.com/premium/news/160616/prm1606160004-n1.html
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