ゲーリー・ズーカフ「魂をめぐる物語」より。
「もしもあなたが自分を魂として見るようになったとしたら、そのときから、あなたの人生の中で発生するすべてのことを、あなたが、あなた自身に関する重要なことを学ぶための、絶好の機会として見るようになります。
人生に発生することのすべてが特別の贈り物となります。これが完璧な信頼です」
この「完璧な信頼」、とくに神への「完璧な信頼」について、アンデルセンの童話に、「おじいさんのすることに間違いない」という有名な話があります。ここでおじいさんというのは良人(おっと)のことを譬えています。
おじいさんのすることは悪いように見えておっても嘘なんだ、悪いことは一つもない。神のみ心の中には悪いものは決してないのだという譬え話です。
簡単に要約しますと、そのおじいさんの家は数十万円もする非常に立派な馬を持っていました。それをおじいさんが市場に売りに行こうと出かけて行きますと、道で牛飼いにあったのです。
数十万もするその馬に比べると、立派な牛ではありますが、だいぶ劣っていて何万円の値打ちしかないのです。牛飼いは言いました。
「その馬を連れてどこに行くんですか。もしお売りに出すのなら、私の乳牛と換えて下さい。馬は乳が出ないけど、この牛はたんと美味しいお乳が出て本当に重宝ですよ」
そこでおじいさんは、その立派な馬を乳牛と取り換えました。
しばらく行くと、向こうから羊飼いが山羊を連れてくるのに出会いました。そして羊飼いはこう言うのです。
「この山羊とその牛と取り換えてくれないかね。山羊の乳は牛乳より消化が良くてその味も格別だよ」
「それじゃ、その山羊とこの牛とを取り換えてあげよう」
とおじいさんは300円くらいの山羊と何万円もする牛とを取り換えたのでした。
さらにおじいさんが歩いていますと、養鶏屋の主人が来ました。
「あんた山羊をどこへ連れて行くのですか」
「今私は山羊と牛とを取り換えたところです」
「そうですか、その山羊よりこの鶏の方が卵を産んでいいですよ。その山羊と鶏を取り換えましょうよ」
こうして、おじいさんは到頭山羊と鶏とを取り換えてしまいました。
おじいさんがその鶏を持って歩いていますと、向こうからリンゴの腐ったのをかついで来る男に出会いました。ここでも、おじいさんはリンゴ屋の云うままに、その鶏を腐ったリンゴと取り換えてしまったのでした。
こうして最初の立派な何十万円もする優秀な馬がリンゴの腐ったものと取り換えられてしまったのでした。
それを見ていた一人の地主が、
「おじいさん、そんなことをすれば、家に帰ったらおばあさんに叱られるよ。立派な馬をリンゴの腐ったのと換えるなんて実に馬鹿なことをしたじゃないか」と言いますと、
「いや家のおばあさんは何をしても、おじいさんのすることは間違いがないと言いますよ』と答えました。
地主は、
「いくらお前のおばあさんでも一寸くらいの間違いなら咎めないかもしれんけど、あんな立派な馬とリンゴと取り換えたのじゃ、おばあさんも怒るにきまっとるよ」
「いいえ、家のおばあさんときたら、私が何をしてもおじいさんのすることに間違いないと言いますよ」
「本当にそう言うのなら私の持っている地面を全部お前にやろう」と地主は言って、おじいさんの家について来たのでした。
家に帰ると、おじいさんは、早速おばあさんに、
「馬を市場に連れて出かけて行くと、向こうから牛を持っていた人が、牛と馬と換えてくれというから換えてやっただ」
「それはいことをなさいました。その牛にはいい乳が出て毎日牛乳が出て嬉しい。おじいさんのすることに間違いない」と言いました。
「ところがね、その牛を連れて行きよったら、向こうから
山羊を連れてきた者がある。その山羊と牛とを換えてくれと言うから、また換えてやった」
「それはよござんしたわね。おじいさんのすることには間違いない。私は山羊の乳を飲みたいと思っていたところです」
「いや、一寸待て、その山羊はもういないのだ。というのは向こうから来た牝鶏と取り換えた」
「そうでしたか、それ又、おじいさんのすることに間違いはない。私は鶏の卵が好きですから、家で飼えば鶏の卵が食べられます」
「いやその鶏もいないんだよ。丁度その時向こうからリンゴ屋さんが来て、その鶏とリンゴの腐ったのと取り換えてくれと言うから取り換えてやったのだ」
地主は、いくらなんでも、いよいよおばあさんは怒るだろうと固唾を呑んで、どう言うかと注意していますと、おばあさんはもう一度、
「おじいさんのすることに間違いない」と申しました。
「実はさっき向うの三軒目のおばあさんがやって来て、何かを恵んでくれないかと言うものですから、戸棚じゅう探しましたが、何も見つかりませんので、『何かお前さんにやりたいが腐ったリンゴ一つないわいな』と言って断ったところです。そこへ腐ったリンゴがくるなんて・・・・、本当におじいさんのすることに間違いない。早速この腐ったリンゴを三軒目のおばあさんのところへ持っていってやりましょう」と駆け出して行きました。
それを見て地主はおばあさんの無我に感心しました。どんなときでも良人を信頼して、「おじいさんのすることは、間違いない」と本当に信じ行じているというので、約束通り自分の所有している何億円の価値ある地面をこのおじいさん、おばあさんに譲ってくれたというのでした。
〈以上〉
病気、火事、失業、裏切り等々人生いろいろあり、途中の過程では却ってどんどん財産が減っていったり損が行くように見えることが起こるかもしれませんが、「おじいさんのいうことに間違いない」と無我随順になって素直になりなさいという教えのようです。
冒頭に述べましたが、「人生に発生することのすべてが特別の贈り物」と受け止めることができるか、これらすべてに完璧な信頼を持てるかどうか試されようです。
「人生の起こることはすべて必然、必要、ベスト」、すべてが自分の身魂磨きとして受け止めていきたいものです。
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