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2016年05月07日19:14

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昭和のスターとアイドル展

日本橋三越本店 新館7階ギャラリーで開催中の『昭和のスターとアイドル展』に行きました。
↓昭和のスターとアイドル展の公式HP
http://www.kayoukyoku.net/

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チケットは、『毛皮のマリー』の舞台を見に行ったら、フライヤーの中に、この展示の招待券が入っていました。美輪さん関連の展示もあったので、それでだと思います。
母も一緒に行ったのですが、母は芸能に全く無関心なので、途中で飽きていた(^_^;)。
私は、懐かしい物が多数ありましたよ。この企画展は、世代によって食い付く部分が違うでしょうね。昭和といっても、昭和は64年まであったワケですし、結果、幅の広い展示内容になってました。

蓄音機の展示もあるのですが、私が行った時は、蓄音機で音楽を聴くという企画とギャラリートークもありました。初期の蓄音機のレコードの筒(シリンダータイプのレコード)って、蝋で出来てるんですね。で、エジソンが作った蓄音機は、縦振動で音を伝えるんだそうです。通常のレコードは横振動なんだケド。エジソンの蓄音機も展示してあったのですが、その蓄音機、レコード盤型になっても、縦振動で音を伝えていた・・というのに驚きました。エジソンは片耳が不自由だった為、音質に拘り、それで縦振動に拘ったんじゃないか?とのコト。エジソンタイプのレコード盤、分厚いの(^_^;)。あれ、重いよね。

初期の録音は2分が限界だったそうな。1筒で2分。短かったんだね。その後、4分も出来るのだが、2分と4分、両方聴ける蓄音機が発明されたりした。

あと、前述、レコード盤には、縦振動と横振動がある・・と書きましたが、アタッチメントで取り替えると、どちらの振動も聴けるタイプの物があったりして、「あぁ、ちゃんと発明されるんだなぁ・・」って思った。

日本の蓄音機は、ラッパやゼンマイを巻く部分が取れて、収納スペースに収納出来るようになっていた。日本人らしい。
時代が新しくなると、電動式の蓄音機が出来て、レコードを10枚入れられるような物も出来た。レコードが1枚終わると、自動的に、次のレコードがかかる仕組み。レコード針は、ダイヤモンド針。なので、レコード盤のコトをダイヤモンドディスクって呼ぶんだって。しかも、針は1回聴いたら摩耗してしまうので、その都度針を替えなくてはならない。今は、音楽聴くのに、針すら使わないのに。
美空ひばりさんの『チャルメラそば屋』という歌を聴かせてもらったのだが、ひばりさんが上海という曲でデビューする前に録音したレコードらしく、凄く貴重な物らしい・・のだが、蓄音機コレクターの方は、その貴重性が分かっていなかったらしく、横にいらした、この企画に携わった方(おそらく、元音楽業界関係者)らしい人に教えてもらっていた(笑)。「オークションに出したら、5万円くらいの値段がつきますよ!」と言っていた。

その後、自分の声を残せるレコード盤&機械も出来、どんどん進化していく。今は、MP3の時代。小さなチップに音楽が何万曲と入ってしまう。

以上が蓄音機の展示。でも、コレがメインではなく、スターやアイドルたちの功績や、どんなコトやったのかな?って言う資料展示が主なのだケド。

歌謡曲が花開くのは、戦後の混乱が収まった1950年代。何でも、歌謡曲という言葉が出来る前は流行歌と言っていた。でも、この流行歌というのは、長唄のような節回しがあるよう歌で、モダンでメロディアスな歌謡曲が出来るのは、戦後なんだって。1950年代後半には、美空ひばりが出てきますからね。

歌謡曲は、ポピュラー音楽の影響下で生まれた。ジャズなど、そういう音楽を取り入れている。大正14年にラジオ放送も始まる。何でも、ジャズを日本語で唄ってレコードにした物が歌謡曲の出発点なんだって。二村定一の『あほの空青く』とB面『アラビアの唄』というのがあるのだが、コレが原点らしい。へぇ〜。聴いてみたいな。
このコーナーには、エノケンなどのレコードジャケットの展示もあった。

で、ここで出て来るのが古賀メロディー。古賀政男ね。手がけた作品は、5000曲だそうです。途方もない数字だな。藤山一郎の『酒は涙か溜息か』などが有名かと。これ、100万枚の大ヒットだそうな。神楽坂はん子の『ゲイシャワルツ』もそうなのか。どちらかと言うと抒情的でメロウな感じの曲を作る人かな?私が行った時、前述の企画をした人のギャラリートークが急に始まったのだが、確か、小唄などのリズムを使うコトが多かった・・と言っていたような。

次に、服部良一が出て来る。淡谷のり子の『別れのブルース』等が有名かな?他にも、笠置シズ子の『買物ブギ』や、ラップの元祖の『銀座カンカン娘』とか。古賀氏と違い明るい曲調の物が多かったらしい。
そんな中、『蘇州夜曲』が大ヒット!私も大好きな歌です。李香蘭だね。蘇州夜曲は、『支那の夜』という映画の劇中歌だったそうな。白楽天の即興で弾いたメロディーが元なんだって。へぇ〜。確か、李香蘭は、支那の生まれ・・という設定(って言ったらダメなのか?(^_^;))で売り出したんだよね。映画は、長谷川一夫の美男美女コンビでヒットした。

何でも、この頃の作詞家や作曲家の地位というものは頗る低かったらしく、レコード会社が1番偉くて威張っていたんだそうな。レコード会社がスタジオ持ってるし、レコード作る工場も持ってるしね。作曲家や作詞家は、そのレコード会社専属。会社をまたいで詞や曲を作るコトは出来なかったんだって。ギャラも給料制だったみたい。専属以外の作詞家や作曲家は買い取りで、1本5000円くらいだったそうな。へぇ〜、著作権じゃないんだ。(ギャラリートークで解説してもらった)
その後、作曲家の地位を上げるべく、服部氏&古賀氏が、作曲家協会を作るのだが、コレにレコード会社は大反対。TV局も反対して、唯一反対しなかったのがTBSなんだって。作曲家協会は、レコード大賞などを作り、作曲家の地位向上&発展に努めたのだが、そういえば、TBSがレコ大って放送してるんだっけ?

次に出て来るのが中村八大。『上を向いて歩こう』が有名ですね。中村八大氏はピアニストでもあるのだが、この“上を向いて歩こう”って、自身のリサイタルの第2部で書き下ろしソングを10曲書いたのだが、その中の一つだったんだって。
何でも、その10曲の中で、当初1番売れるのは、鳴り物入りでデビューした、美形の加山雄三の歌だろう・・・と思われていた。でも、蓋をあけてみたら、坂本九さんの上を向いて〜の方が大ヒット。しかも、コレは海外でもヒットする。何でも、当初、コレを英語で唄った歌を、海外のプロモーターに持って行く予定だったのだが、それより先に、日本語の坂本九版が届いた。そこで、それをそのままラジオでかけたら、コレがヒットしたんだって。『SUKIYAKI(スキヤキ)』というタイトルでヒットしたコトは有名だけど、何と、当初『SUKIYAKA(スキヤカ)』だったんだって。すき焼きは、日本的な食べ物として、この曲に付けたんだケド、スキヤキを売った海外のレコード会社は、フランク・シナトラなど、ビックネームを抱えるレコード会社で、そのままタイトルを使うコトに抵抗を見せて、ちょっと変えて『SUKIYAKA』にしたんだって。でも、「それは駄目!」って言って、SUKIYAKIに名前は戻ったのだが、当初発売したSUKIYAKAヴァージョンも売られてしまった為、今も、この版は存在する(展示してあった。確かに、SUKIYAKAになってた)。何でも最初は、ミスプリだろう・・と思われたそうなのだが、前述のギャラリートークの企画者の人が調べたら、そんな経緯があったと判明。因みに、都市伝説として、曲名をSUKIYAKIに変えられて、永六輔が怒った・・という話があるそうなのだが、契約書に、『名前はSUKYAKIにするよ』と書いてあるので、勝手に変えたワケじゃないから、コレはやっぱり都市伝説じゃないか?とのコト。

今でも、1981年にテイスト・オブ・ハニーがR&Bヴァージョンでカヴァーし、ビルボードで3位になったり、4PMがカヴァーヴァージョンでヒットし、ゴールドディスクをとったり(この展示もあった。凄いな。4PMの事務所から借りたんだろうか?)、世界でずっとヒットし続けている。最近も、オノ・ヨーコさんの英訳詞でカヴァーされたんだって。何でも今までの英語の訳詞は、「ただ悲しい」みたいな内容で、本来の「悲しくても、上を向いて、明るく前へ進もう」という部分が欠けていたそうで、オノさんは、八大さんの遺族の意向なども聞き、元の日本語の意味に近い英訳詞をしたそうな。
中村八大氏は、他にも『こんにちは赤ちゃん』や。ジャニーズの『若い涙』などを作曲。ジャケットがあって、あおい輝彦が若い!(笑)

あと、個人的に、ナベプロの初代社長の渡辺晋氏の写真あったのもツボ。雑誌の記事で、楽器持ってました。ミュージシャンだったんだもんね、渡辺さん。

次に、三木鶏郎が。冗談音楽って言うのを作った。コントとミックスした形の音楽ね。知らなかったのだが、鉄人28号も三木さんだったのか!あと、コレは私、知ってたが、CMソングのパイオニアなんだよ。キリンレモンの♪キリン、レモン、キリンレモンキリレモン、キリン、レモン〜や、♪牛乳石鹸よい石鹸〜なども三木さん。

エノケンのコトも書いてあった。エノケン門下生から、永六輔や、野坂昭如、いずみたくなどが出たと。

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会場内に、『時間ですよ』に出て来る松の湯の入口が(笑)。
中は、久世光彦氏関連と、ドラマの曲コーナーだった。久世光彦。ディレクターでプロデューサー。私の中では、ドラマ『ムー』の人なんだケド。ムー大好きだったな。今も好き。この人、東大の美術史学科卒なんですね。
天地真理の『ひとりじゃないの』を作ったコトでも有名。天地さんは久世ドラマのアイドルでした。他、彼が作ったアイドルといえば浅田美代子。『赤い風船』だな。
そして、忘れちゃいけないキョンキョンこと小泉今日子。キョンキョンだけ、別にコーナーが作られていた。で、このキョンキョンの可愛さといったらない!ブロマイドとか、レコードジャケットとか沢山展示してあった。可愛い〜。あと、色んなコラボグッズがあったのね。サンバイザーから、トースターから。キョンキョンは「久世さんが唯一の師」と言ってるんだって。雑誌記事の紹介もあったよ。

久世ドラマ。先ほどのムーもそうですが、他には『悪魔のようなあいつ』や、『時間ですよ』。悪魔のようなあいつのジュリーの色っぽさったらない。私の大好きな『時の過ぎゆくままに』のジャケットもあった。♪時のすぎゆくままに〜、この身をまかせ〜、男と女は漂いながら〜、落ちて行くのも〜、幸せだよと〜、・・・唄える!(笑)

次に、三人娘が出て来た。雪村いずみ。江利チエミ。笠置シズ子。皆可愛かったな。当時のアイドルだもんな。で、ここに、登場、美空ひばりさん。ひばりさんは、衣装の展示もあった。衣装を見ると、小柄だったのが分かりますね。ここには、星野哲郎の『みだれ髪』の歌詞原稿が展示してあった。

次に、映画スターの歌。石原裕次郎や鶴田浩二。『ダイナマイトが百五十屯』ってあったな!
映画スターなので、皆恰好良いね。キメキメでジャケット飾ってるよ。

その後、シャンソンが出て来る。越路吹雪が出て来るのだが。私は越路さんより、そのマネージャーをしていた、岩谷時子さんに食い付く。作詞家として有名よね。岩谷さんが訳したシャンソンの名曲を越路が唄い、シャンソンが定着する。パリでシャンソンデビューした石井好子は、加藤登紀子などの歌手も輩出。
もう1人忘れちゃいけない、丸山明宏。今の美輪明宏ですね。1958年に『メケメケ』がヒット。そして、今でも紅白で唄ったりする、『ヨイトマケの唄』ね。何でも、黒人霊歌のような歌が日本にはないな・・と思い“ヨイトマケの唄”を作ったんだそうな。
美輪さんの美形ジャケットが並んでいました。神様は良く、この顔を作ったよな。人形だよ、本当に。綺麗すぎて人間っぽくない。丸山明宏の直筆の歌詞(訳詞かな?)もあった。字もお美しいですね、美輪さん。

で、ロカビリーやウエスタンカーニバルがこの辺りで出て来る。団塊世代のお父さん感涙じゃなかろうか?平尾昌晃ー!!ミッキー・カーチス!ミッキー・カーチスさん、今や、ちょっと芸人みたいになってますが、ロカビリー歌手だからね。そんな人たちを筆頭に、かまやつひろしや、水原弘が出て来る。坂本九もここに入るのね。水原弘の『黒い花びら』のジャケットも。

次に『テレビの歌番組』コーナー。1959年に、フジTVが『ザ・ヒットパレード』を放送開始。ザ・ピーナッツが有名になる。ナベプロが構成、作家、ミュージシャン、営業スタッフなど制作を仕切って作っていた番組。
1961年には、『シャボン玉ホリデー』が始まる。はい!出た!私の好きなクレイジーキャッツな!レコードジャケットが、もう、たまらん。『スーダラ節』、『ドント節』 『はい、それまでよ』等々、私、全部唄えます。それにしても、谷啓さん、可愛いなぁ〜。植木等はベタな二枚目。谷啓は可愛い系。私、谷啓さんの『愛してタモレ』が凄く好きなんだケド。♪タモレ、テモレ、愛してタモレ〜、タモレ、タモレ、愛してタモレ〜
この展示の特徴として、頭に歌が流れて来て、思わず口ずさむってのがある。

カヴァーポップスの黄金時代。名訳詞家の漣健児が登場。実家が新興音楽出版(シンコーミュージック)だったそうな。赤鼻のトナカイも、漣氏の訳らしい。中尾ミエさん『可愛いベイビー』が有名かと。この流れが、後の井上陽水や、桑田圭祐に繋がるらしい。

ここで、御三家登場。舟木一夫、西郷輝彦、橋幸夫。当時の男性トップアイドルですね。
皆若いな。その後、加山雄三も出て来る。若大将シリーズだ。弾厚作名義で、加山が作曲し、岩谷時子が詞を付けた。この流れが、後のグループサウンズに繋がるらしい。
グループサウンズ。1966年にビートルズ来日!ここで、更に火がつく。ザ・スパイダーズ、ザ・タイガース、ショーケンがいるテンプターズ。1967年頃がグループサウンズの頂点だったらしい。個人的に、ザ・モップスの鈴木ヒロミツ氏が若くて、涙チョチョきれる。『朝まで待てない』があった。
そして、ザ・タイガースのジュリーの恰好良さよ。ジュリーだけ飛びぬけて美形なのな。そら、女子失神するは。スパイダーズには、堺正章もいる。今の人には「巨匠」ですかね?もしくは、かくし芸大会に出てる人?お父さんは喜劇役者なんだよ。

次にアイドル文化が出て来る。ここが私は懐かしかったなぁ。アイドルという言葉は1960年頃に日本で使われ始める。海外では、もっと早く使ってたみたい。
日本では、坂本九や、弘田三枝子のような素朴で人懐こい子で、ポップスを唄う人を、そう呼んだ。
ナベプロが作った東京音楽学院の生徒で結成したスクールメイツより、NHKの歌番組の為のアシスタントが抜擢された。それが、ラン、スー、ミキ。後のキャンディーズである。1973年“あなたに夢中”でデビューしたが、あまり売れず、1975年、お姉さん的な存在だったランちゃんが中心ボーカルとなった『年下の男の子』がヒットしてブレイク。しかし、1977年に解散する。
もう、映像が流れてて、懐かしくてね。グッズとかね。もう、可愛いねぇ。
他、野口五郎や、郷ヒロミ、桜田淳子、南沙織といったアイドルたちも。

TVでは、『スター誕生』が放送される。それにより、歌謡曲黄金時代を迎える。1970年のコト。スター誕生には、阿久悠氏が関わっているんですね。阿久氏が審査してたのか。そこでは、森昌子や、桜田淳子が発掘され、更に、ピンクレディー、岩崎宏美、中森明菜、清水由貴子などが発掘された。西村知美や、芳本美代子もそうなのか。この辺りのレコードジャケットは、まぁ、可愛い。アイドルですからね。アイドルって、本当に、皆可愛いね。私は、みっちょん(芳本美代子)が好きだった。

このアイドル熱ブームに拍車をかける、『ザ・ベストテン』。私も毎週見てました。当時は、見てないと翌日、学校で皆の会話についていけない・・という現象まで起っていた。黒柳徹子さんと、久米宏氏が司会。マッチや聖子ちゃんなどのアイドル。安全地帯やチェッカーズなどのバンド。沖田浩之が懐かしい。『E気持ち』のジャケットだ!吉川晃司が若い〜。以前、大槻ケンヂ氏が音楽雑誌の説明で、「確か、この号に、吉川君がメジャーデビューします・・・って載ってるんだよ。」って言ってたな。本田美奈子もいる!ザ・ベストテンのセットの模型展示もあった。
ザ・ベストテンは、番組に出ない歌手も、平等にランキングで発表したのが斬新だったらしい。あと、生中継も名物だったよね。新幹線の停車時間だけ唄わせたり。

フォークソングブームも起こる。新宿フォークソングゲリラとかな。この頃、森山良子さんが『この広い野原いっぱい』でデビュー。1972年には、吉田拓郎の『結婚しようよ』が流行り、ザ・フォーククルセーダーズの『帰って来た酔っ払い』が流行る。レコード持ってた!フォークルは、ビートルズリスペクトだったらしい。フォークル解散後、加藤和彦は、サディスティックミカバンドを結成する。ここで、心の中で叫ぶ私。『サディスティックミカバンドきたー!!!!!』 大好き。『タイムマシンにお願い』が有名かな?これが1974年。で、1969年には、アンドレ・カンドレがデビューしていた。今の若い人、アンドレ・カンドレ知らないだろうな(^_^;)。井上陽水氏のバンドだ。

ここからインディペンデンスシーンになるのだが、ここも個人的に涙がちょちょ切れる。アングラレコードクラブ(ARC)が1968年に出来る。ここでは、高田渡、岡林信彦、はっぴぃえんどの名が。はっぴぃえんどが私の胸を打つ。細野晴臣、大瀧詠一、松本隆、鈴木茂。今見ても、このメンバースゲエ。ここから日本のロックは始まったと言われています。1970年に、はっぴぃえんどのファーストアルバムが出る。えぇ!私が生まれる前だったのか・・・。

シンガーソングライターも出て来る。井上陽水のアルバム『氷の世界』は、2年に渡りアルバムチャートを賑わせた。1975年には中島みゆきがデビュー。

この後に演歌コーナーがあった。こぶしを使う物より、抒情をアピールしたものに移行してきたらしい。このコーナーの一角が、小林幸子コーナー。最近では、ニコニコ動画とのコラボしたり、コミケに出たりして、新たなファン層を開拓。紅白の衣装がゲームのラスボスっぽいってコトで、若い世代が食い付いたのね。幸子さんは9歳でデビューしたんですね。

他、由紀さおりさんや、アジアの歌姫コーナーなどもあり、盛りだくさんでした。
世代によって、食い付く場所が全然違うので、お客さんを見てるのも楽しかった。でも、1番人気はアイドルコーナーだったな。お客さんが途切れない。

ミュージアムショップにはマルベル堂が入っていたり、中古レコードがあったり。キョンキョンのブロマイドがあったら買おうと思ったら、キョンキョンはなかった。ブロマイドを10枚くらい持ってた人もいたなぁ。気持ちは分かる。当時の自分のアイドルだった人のブロマイドを買っているのだろう。伊代ちゃんも可愛くて、買おうか迷った。

5月9日までやっています。
歌謡芸能史に興味がある人、TVっ子も結構楽しめると思います。
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