mixiユーザー(id:6972928)

2016年04月15日00:57

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何も問題が存在しないのでは?(笑)

若者が車を購入しない理由1位「買わなくても生活できる」
――「買い物でローンや借金はしたくない」という傾向も (キャリコネ - 04月14日 13:40)
http://mixi.at/a6GvswS

で呟いた続き。

続きは某所からのコピペ(笑)。

続き部分はニュースから辿られると
何かと刺激的な書き方なので
上記リンクは自動じゃなくて手書きね(苦笑)。

---
(若者が車を購入しないことは)
メーカー側の自業自得であるってことを
もうちょっと一般化するとね、、、

自由主義社会内の民間企画(つまり「企業」)って結局、
企画主の独裁にしかならんのである。
当たり前だね。企画主の思いが牽引力であり、
反映されないと企画している意味が無いから、
不特定外野まで含めた客観法に支配され「たくない」と考えるものだから。
てか、民主主義自体が多数派の独裁社会なので、
「多数派」を自認する企画者側が自らの欠陥を認めようとしないかぎり
独裁社会に変革は訪れない。

往々にしてその独裁社会ではその独裁社会が

「うまくいっている」

ことにしたがるものなので、
表面上「成功だ」との自己暗示がかかっている状態に
どんなに石を投げ込んでも無駄である。
そんな集団には何の改革も期待できない。「障らんことが最善」かな?

だから、こういうのってのは外野で論じても殆ど徒労に終わるもので、
その独裁社会側、独裁社会内で目を背けられている隠された疑義や問題点を
あえて採り上げて気付かせてくれるような動きを
どれだけその企画者、つまり独裁者が忘れずにそこに目を向けられるかが
最も重要な鍵になるものである。

そうじゃないなら「問題ない」のである(嘲)。
現に某H社が「若者が気軽に」と銘打って出した某車の主たる購買層が
40代以上である分析を報じられてもなお「成功だ、好評だ」と
言い続けているではないか。だから、それでいいのだ。
失敗を認めたくないのと失敗じゃないのの差は外野にはつけられないし。

それに、今目指されている「自動運転車」は道具としては秀逸であり、
それもまた事実だと認識できるものである。
集中力など精神的や身体的消耗を必要とせず
安全に対する責任を軽減できて目的地に移動できれば
それはそれは大衆が待ち望んていたことに違いない。

でも、それは従前の「自動車文化」とは全く異なる
別の商品カテゴリに遷移しているのだ、ということを
認識した方がいい。

単なる機能便利道具を志向するものにまで個性を見いだせるのは
相当可処分財の余力があるようなニッチな消費者クラスタだけだ。
誰がその、普及品でも十分柔らかくなっり
お気楽無意識に使い捨てられるようになった
1枚のティッシュペーパーにこだわり続けるのだろうかね?
金融勧誘で配っている無料のポケットティッシュでも十分で、
10万円のティッシュを買ってくれるのはやはり、、、ということだ。

評価尺度が旧来のままで既に遷移にあるものを評価しても
適切な知見は得られない。
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