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2016年04月07日16:55

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滋賀大学学長の入学式のあいさつに 寄せて

滋賀大学長 学長の入学式のあいさつに関する毎日新聞記事(2016年4月6日)についての、The tree of Zen の仲間たちの 佐藤 かぐや さんが、フェイスブック上に、下記のようなコメントをしていましたので、その了解を得て紹介させて頂きます。
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あらたな人類進化がたどるべき道筋を示すものと、新月の本日 強く感じています。
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◇ 佐藤 かぐや
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「 国民経済発展の一環として「学問」を位置づけ、理数を中核とした柱を「科学」教育におき、国際化のために「英語」を初等教育から重視して、国家全体の強靱化をはかるような、一律の官僚的発想は、それ自体全体主義的な発想と似ていて、現代国家の基本的大計とは最も不自然で馴染みにくいものに感じます。
そこには「人間」が不在であり、かつ、与党本流の言い口とは裏腹に、日本人も日本文化も生き場がなく疎外され、人々は幼児から蔑ろにされ「喪失感」に包まれてしまうようにみえます。
この社会に多い罪悪感のみが強調され、それは無意識の中でこの社会にネジレを生みかねないものです。
人間は、単純な国家や企業の先兵ではありません。
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「科学」が最先端に進めば進むほど明瞭になるのは、宇宙と自然の「限界」というものです。「科学」といえどもミクロ、マクロの自然と宇宙を参酌するものといえ、また、この自然と宇宙から智恵を借りる役割に過ぎないようにみえるのです。
いわば、人間は、宇宙と自然の「限界」を明らかにするために、この宇宙に用意されている存在に過ぎないという気すらしてくるのです。
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科学も政治も、さらに経済も、それだけでは明確な「方向性」を示すことはできないと思います。
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人類史における、学問の自由と大学の自治は、自由と独立を、官僚たちの解釈論的「偏狭」から本来離脱する必要があると思うのです。
むしろ、さもしい金づる的紐、一国家の、一内閣、盲従的な官僚的思考にもとづく権力的支配から完璧に解き放たれ、
未来世界が人間精神に付託するところの、完全な自由と独立、自治の、人間存在の本源的「進化」の原理として、その淵源を新たに捉え直すべきです。
現況の並び立つ思想・良心の自由(絶対的自由)を良心的本源に、この宇宙と自然は、大きく人間存在に、先の「限界」を(その偉大さから)常時問いつめていると感じるのです。」
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・ 滋賀大学 位田隆一学長(68) 文系軽視、教育後進国並み−文科省を批判− 【 毎日新聞 ・ H28.4.6 】
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http://news.biglobe.ne.jp/domestic/0406/mai_160406_4415807730.html

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