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2016年03月26日20:09

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八幡山城・豊臣秀次居館跡西尾根の出城の転用石だらけの石垣

近江八幡市にある豊臣秀次ゆかりの八幡山城跡と麓の豊臣秀次居館跡は知られた城跡ですが、その秀次居館跡の西の尾根に出城のような遺構が残されています。
ほとんど知られていませんが、ここに大変興味深い遺構があります。

まずは豊臣秀次居館跡から。
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豊臣秀次居館跡の大手道。
八幡山城と豊臣秀次居館は豊臣秀吉の甥である豊臣秀次が紀州攻めと四国攻めにより武勲を立てた功績により近江八幡43万石を与えられ安土城の隣の八幡山に築いた城です。
この際、町の機能を安土から近江八幡へと移し城下町としての体裁を整えました。
しかし、秀次は清州城へ移封。そのあとに京極高次が入封しましたが、秀吉の命により秀次は切腹。八幡山城は廃城となりました。
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豊臣秀次居館跡下の家臣屋敷の石垣。
秀次の居館とその周囲の家臣団屋敷は規模が広く充実しておりここが政庁としての中心であったことが分かります。
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秀次居館跡の大手道の石垣。
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秀次居館跡の虎口前の石垣。竹藪の奥に続いています。
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秀次居館跡の石段。
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大手道を登った先にひときわ大きく高い石垣があります。
ここが豊臣秀次居館跡で正面に立派な内桝形虎口がありますが、残念ながら昭和47年の大雨による土砂崩れで八幡山城の本丸南石垣とともに被害を受け、虎口には幅広の排水溝が通っています。
平成12年の発掘調査で御殿の礎石や秀次の紋であるオモダカ紋の金箔瓦が出土し、改めて豊臣秀次の居館であることが確認されましたが、居館跡は整備されておらず荒れたまま。今後整備の予定があるかわかりませんが是非整備してもらいたいものです。

さて、ここからが本題。
この豊臣秀次居館跡の西の尾根に出城のような小規模の城跡遺構群があります。
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秀次居館跡の高石垣の下を通り先に進むと、
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五輪塔の風空輪の残欠が。
実は秀次居館跡の虎口前に来て西の出城へ向かってよいものか迷っていた時に(下の竹林は無断で入るなと看板があったので)数人の方が。
結構専門的な話をされていたので思い切って声をかけたら実は市教委の方々。
話をすると秀次居館跡辺りからなら入っていけるが、道が整備されていないので事故の恐れもあり案内はしていないとのこと。行くなら自己責任でということでした。
以前仕事の関係で行ったことある私は大体の状況が分かっているので向かうことに。
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出城のある尾根へ向かう虎口らしき道。この辺りから明らかな整地の跡が見受けられます。
以前聞いた話では、この尾根にはかつて中世寺院があったのではとのことです。
その寺院の跡を利用して秀次居館の西の防御の出城が築かれたのではと。
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埋もれた石仏。室町時代頃のもの。
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尾根上に登ると室町時代頃のものと思われる五輪塔の残欠や石仏が多数散乱している場所に。
中世墓の跡のようです。
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ところどころに大きな穴が。墓を改葬した跡か荒らされた跡か・・・
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かつてここにあった寺院の管理する墓だったのでしょう。かなり大きな五輪塔の地輪もあり、結構な身分の墓もあったのでしょう。
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中世墓跡群から尾根を下ると平坦地が何段か続きます。
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平坦地は広めですが、城としての防御施設らしきものは見かけません。
かつてあった中世寺院の僧坊跡でしょうか。後に秀次の居館を築く際の西の防御となる出城として利用されたことでしょう。
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虎口らしき箇所。この下に凄い遺構が。
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目の前に現れる石垣。八幡山城や豊臣秀次居館跡の石垣と比べるとずっと規模は小さいですが、この石垣、ほとんどが石仏や一石五輪塔で占められている転用石だらけの石垣です。
ほぼ8割が転用石でしょうか。
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石垣の東面。いくつかある大き目の自然石以外の小さめの石はすべて石仏か一石五輪塔の中世石造物。
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転用石だらの石垣の下に埋もれる一石五輪塔。室町時代後期のもの。
石垣に使われず放棄されたものでしょうか。
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同じく石垣の下に埋もれた石仏。
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石垣の崩れた箇所を覗くと積まれた石仏と一石五輪塔が顔を出してました。
しかしすさまじい石垣だなぁ。
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転用石だらけの石垣からやや下ったところにも低い石垣がありますが、こちらは自然石で積まれています。ただし、石垣上には石仏が。石垣の部材に使おうとしたのでしょう。
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尾根の西斜面にも石垣が造られています。
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そこにも五輪塔の笠の部材が。
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西斜面の石垣。こちらも石仏が多数使われています。
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こちらの石垣は自然石のようにも見えますが、石の大きさからもしかすると石仏かもしれません。

この西尾根の石垣はおそらく豊臣秀次の居館を築く際に西の尾根にあった寺院跡を利用して出城を築き、その際に中世墓の石塔や石仏を徴発して石垣を築いたものと思われますが、ほとんどが転用石で占められている石垣を見ると罰当たりというか権力の凄さを感じるというか。
石塔などの転用石を利用した城と言えば福知山城の石垣が有名ですが、それ以上のこの石垣は小規模ながらも八幡山城と秀次居館跡の築城を物語る貴重な遺構だと思います。

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