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2016年03月21日08:34

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大学「特に明徳について」



「大学」とは論語、孟子などと並ぶ四書五経の一つで、昔は四書五経の中でも最初に習うものとされました。

近江聖人といわれた中江藤樹は、「大学」の「天子より以て庶人に至るまで、一にこれ皆身を修むるを以て本となす」の一句に深く感動して聖賢の道を志しました。

また、二宮尊徳が少年の頃、薪を背負いながらつねに読み続けていたのが「大学」でした。

その「大学」の冒頭について、守屋洋「新訳―大学・中庸」(PHP)は次のように解説しています。

【書き下し文】
大学の道は、明徳を明らかにするにあり、民を新たにするにあり、至善に止(とど)まるにあり。 (大学・径一章)

【守屋洋・解説】
大学で学ぶ目的は何か。
第一は、自分が持っている素晴らしい徳を発現すること。
第二は、自分ひとりの修養だけにとどまらず、それを人々にも及ぼして、それぞれの徳を発現できるように導くこと。
第三は、以上の二つのことが到達した最高の状態を、常に維持するように努めることである。

社会に出て立派な働きをし、周りの人々から信頼される社会人になるためには、当然のことながら、能力と人格の両面にわたって自分を磨かなければならない。ここで言う「大学の道」とは、そういう学問を指している。古い言葉でいえば「君子の学」と言ってもよい。

従って、細かく専門分化して知識偏重になっている現代の学問を連想されたのでは、いささか見当外れの感を免れない。むろん、知識の習得も大切である。だが、それと並んで、いやそれ以上に大事なのが、人格面の陶冶ということになる。

それを目指しているのが、「大学の道」にほかならない。表記の三つをとくに「大学三綱領」という。・・・・以上。

【安岡正篤解説】
安岡先生は、その著「大学と小学」で次のように述べています。以下、要約抜粋します。

徳とは宇宙生命より得たるものをいうので、人間は勿論一切は徳のためにある。徳は「得」であります。それには種々あって、欲もあれば良心もある。すべてを含んで徳というのであるが、その得たる本質的なものを特に徳という。

そして、われわれの徳の発生する本源、己れを包容し超越している大生命を道という。だから要するに道とは、これによって宇宙・人生が存在し、活動している所以のもの、これなくして宇宙も人生も存在することが出来ない、その本質的なものが道で、それが人間に発して徳となる。これを結んで道徳という。

そのわれわれの徳には種々の相があるが、その一つに意識というものがある。われわれの意識される分野は極く少しで、例えば光といっても赤・橙・黄・藍・紫等の七色閾しか受けとれない。しかし、光そのものは無限である。われわれのこの意識の世界が所謂明徳でありますが、その根底には自覚されない無限の分野がある。老子はこれを玄徳といっている。

海面に出ている氷山の下には、その8倍のものが沈んでいるという。ちょうどそれと同じで、有の世界、明の世界の下には潜在している徳、即ち無意識の世界がある。これを無の世界というと誤解をまねくので、無・虚という言葉を使いながら、道家ではよく「玄」という字を使う。しかし、儒教の教えでは自己を修め人を治める現実の学問で、勿論玄徳の世界を無視するものではないが、兎に角、そのよって立つ基礎は意識にのぼり、感覚で捉える世界、知性、理性によって把握する世界、即ち明徳の世界である。その明徳を解明するのが明明徳である。




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