神渡良平氏「安岡正篤 立命への道」(致知出版)からです。
安岡正篤は徳についてこうも解説している。
「偉くなることは、必ずしも富士山のように仰がれるためではない。なるほど富士山は立派だけどれども、それよりも何よりも立派なものは大地である。この大地は万山を載せて一向重しとしない。谷やら川やらを載せて、あえていとわない。常に平々坦々としている。この大地こそ本当の徳である。われわれもこの大地のような徳を持たなければならぬ。大地のような人間にならなければならぬ」
ここに安岡の人物論が集約されている。自分の才能をひけらかすただの切れ者は五万といる。必要とされる人物は、人を生かす人である。徳は自らをしゃしゃり出るところに生まれるものではなく、他の人々を受け入れ、その能力を花開かせるところから育っていく。今こそ徳慧の学問は必要とされるときである。
(以上)
人の為、世の為どのようなことをしても、知られることなく、また、報われることがなくても。「常に平々坦々としている」・・・・、私にとって重い言葉であり、今生の課題でもあります。
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