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2016年03月13日22:54

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今年の3/11行脚 宮城県石巻市そして岩手県山田町

以前から3/11の日に何か行動しようと思っていて今回は宮城県石巻の『チームわたほい』の慰霊の集いに駆け付けました。約80人前後の人たちが集っていました。私にとってはこの日の集いの参加者はわたほいの代表の遠藤さん以外全員初対面でした。
「どこからおいでですか?」と私の周辺に居合わせた人たちに尋ねたところ、地元の人たちのほかに、北海道から、仙台から、三重県から、静岡県から、岐阜県から、山形県から、私と同じ東京から駆け付けた人は町田、杉並、八王子、・・・と実に様々なところから参加されていました。皆さんそれぞれ「チームわたほい」とのボランティア活動つながりの人たちばかり。そして参加者の皆さんに共通していたのはどこかの組織だとか団体だとかでボランティアに関わっているのではなくて皆それぞれに自分で志を立てて行動されていること、そして、皆さん人懐っこいというか、気さくで実にフレンドリーなのです。
新たな行動のスタートラインとして『東日本大震災』という出来事をそれぞれに体験したのです。その現在進行形の関わりがこの集いを成り立たせているという実感を強く持ちました。
市内の防災広報が、直前に「14時46分に黙祷のサイレンを・・・」という告知が15分くらい前から時間をおいて2度ほどアナウンスされました。
やがてその時が来ました。
集いの参加者は皆こうべを垂れ、個々のおしゃべりもやめて厳粛な気持ちで黙とうに入りました。
サイレンは流れませんでした。遠くのほうで近所のお寺の鐘が「ご〜〜ん」となりました。
果たしてあれがサイレンなのだろうかな…という半信半疑のままに黙祷を続け祈りました。一分ほど経過して再びお寺の鐘が聞こえてきました。皆それぞれに黙祷を終えました。

そしてその後やや時間が経ってから再び防災広報が流れました。サイレンが鳴らなかったことの陳謝の放送でした。
「なんという失態だ」と憤りを語る人「なんか変だったわね」と感想を述べる人、それぞれの戸惑いの言葉でしばらくざわざわとしました。

合図のない一分間の黙祷は私にいろいろなことを考えるきっかけを与えてくれました。かえって良かったとさえ思うのです。セレモニーが式次第通りにつつがなく完了していたら、『形式(もしくは様式)』の表面をなぞってそれで気持ちを納めていたかもしれません。合図がなかったことによって自分自身の祈りの気持ちのありようが自問自答できました。本気で祈りました。

「ちームわたほい」代表の遠藤さんとは今回が二度目の再会です。きっかけは彼が津波で流出した古民家の梁を再生し新たに形にした作品の『拍子木のストラップ』を私の友人が私にプレゼントしてくれたことが御縁でした。
※チームわたほい…東日本大震災で被災したメンバーが、地元石巻で支援のサポートのために立ち上げたボランティア団体です。
集いの合間を縫って市立K保育所に自作のおもちゃを届けてきました。『オセロゲーム』をばぶさん流にアレンジした大型のおもちゃです。もともとの白と黒の駒を、『白の面が豚さんの顔で黒の面に裏返すと黒猫』というアレンジを施したものをプレゼントしました。年長組はさっそく盛り上がって遊びだしました。製作者としてこのアイテムの魅力の手ごたえを確認しました。ばぶさんにんまりです。

この日の夜は石巻のビジネスホテルに宿泊しました。折角石巻まで来たのだからもう180キロ走って岩手県の山田町まで行こうと、急きょ段取りしました。山田町のおおさわ保育園に3度目のおもちゃ(パズルバード)を贈呈をしてきました。
この夜は山田町に泊まり、翌日帰路は何故かもう一度「わたほい」に立ち寄りたい気持ちがこみあげてきて三人のおじぞうさんに宮沢賢治さんの童話朗読を奉納してきました。



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