mixiユーザー(id:5729926)

2016年03月13日19:54

257 view

介護の未来

過酷な介護現場 暴言にも笑顔で対応、セクハラ被害もあり
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=125&from=diary&id=3896166

《警告》

長文です。
長文アレルギーの方は回れ右お願いします


《まえがき》

介護問題については中学生からずっと考えていて1年に2,3回は日記を書いてきて、その度に色々と考え方が変わり、漸く答えに辿り着けてたと思います。
恐らく今後この考え方は日本だけではなく世界中に波及していくことでしょう。


《問題の本質》

では介護問題の本質について説明します。

今迄の私達は【寿命は心肺の停止のみを寿命】としてきました。
そして【生き続ける限り社会は人間を養い続けなければいけない】
これが今迄私達が持っていた寿命の捉え方であり、社会の価値観でした。

しかし【医療の発達により人の心肺は中々停止しなくなってしまった】
その結果【社会は全ての人間を養いきれなく成ってしまった】

これが【問題の本質です。】


《私の考え》

では私の考えをお伝えします。
私は【脳死の拡大解釈を提案します。】

具体的に言うと、
知的障害・認知障害、或いは精神障害で社会生活が出来ない人間を脳死と認定する。
但し、管理保護する者がいる場合は例外として生存を認める。
そして脳死が認定された場合は、人間の尊厳が保たれる様に苦痛なく死ねる事を義務付ける。

つまり植物人間と同じで、お金を出したり管理監督出来る人間がいるのであれば、脳死であっても生かしておいてもいいよ、という事です。
但し脳死ですから【税金や補助金は出ません。】

これにより、資産や身内がある人は延命治療を受ければいいし、何も持っていない人は寿命を全うして死ねばいいんです。
仮にお金がない人であっても、死んだ後の臓器を担保にする事で延命治療を受けられる様なシステムにすればいいんです。
別に死んだ後であれば臓器は必要ないわけですから、死んだ後火葬場で燃やしてしまうよりも自分の為になるし、【何より臓器が必要で困っている人達の為になります。】


《現状の理解》

では最後に死の拡大解釈がなされていない日本の現状について説明します。
一番始めに説明したように、心肺停止による自然死では死ねなくなってしまった結果、死なない老人が増えすぎてしまい社会が彼等を養えない状態になってしまいました。
その結果今日本政府がとっているのが【老人の事故死待ちです。】

介護に疲れた家族や職員が老人を殺したり、
或いは悲惨な生活を憂いて自殺したり

そうした【手を下さず勝手に老人達が死ぬのを待っているのが今の日本の現状です。】
その結果、老人達は苦痛の中で死んでいき、老人予備軍の人は何時かその苦痛の中に自分の入るのではないかとビクビクしているのが現状です。


《総括》

いかがでしたか?
死=苦痛であった時代ではこういった提案は人道的に出来ませんでしたが、苦痛なく死ねる様になると死の痛みや恐怖から開放される事で、死は必ず拒絶しなくてはいけないものという従来の価値観が変わってきます。
そうなれば今の社会の様に無理に生かそうとか生きようととしなくても良くなるので、みんなが幸福に暮らせる社会になるではないか?と考えています。

今迄私達は生死にばかり執着してきましたが、【実は重要な事は生死の有無ではなく、それに伴う苦痛こそが本当の悩みだった】という事に気がついてきたのではないでしょうか?
私は最近そういった死生観で物事を考える様になってきました。
4 1

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する