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2016年03月10日15:32

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過剰共感の作用・反作用−存在と時・空 −境界面を超えるとき

The Tree of Zen の仲間たち(旧名 The Tower of Zen の仲間たち)の、
初台 太郎 さんのFBへの 本日の投稿を掲げます。
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◆◇ 過剰共感の作用 ・反作用
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人間は他の動物と根本的に異なる本性があるかどうかは、ネオ・ダーウィニズムから共生進化説への道程を考える際も、また、進歩や成長、進化の境界面をどう超えるかを考える際にも、重要なポイントになる。
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わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)
(『春と修羅』宮澤賢治 序 第一連)
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生前出版できた二冊の中の宮澤賢治の自費出版、かれの『心象スケッチ』といわれる序文の冒頭部分になる。
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肉体(電灯)を備えた存在が、肉体を超えた存在(青い照明)として生きている。
それは暗黒の透明なエネルギーと情報、物質の複合体。
現象が明滅し変化し因果で交わりつつ、万象と一体となってその現実をつくっていく。
電灯はたとえ失われても、その青いひかりは失われない。
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カントの「現象」とフッサールの「現象」の違いは、時空のなかの外界の事象の直感的な「現象」とは、感性による受容か、内面的判断を停止した外観への志向性ある純粋意識の世界構築なのか。
数式により狭められ理念化されているこの世界、
カントの統覚なのか、フッサールの時空の枠を超えたあらゆる原事実か。
ヘーゲルは具象と抽象とを転倒させ「理性的なものは現実的なものであり、現実的なものは理性的」「 概念こそ真の実在で現実的なもの」「感覚は仮象」という。
では、宮澤賢治の上記の「現象」は ?
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本テーマである「過剰共感の作用・反作用」と、共生的「進化論」を成立させるその未来要件に進む。
序には「あらゆる透明な幽霊の複合体」「みんなといつしよに」「因果交流」という共感意識が流れている。
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処女作冒頭が示すのは、「 世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」「 新たな時代は世界が一つの意識になり生物となる方向にある。」「 まづもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばろう。」(農民芸術概論綱要)の根底だ。
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相手がつらい想いをしていることが分かると、自分もまたつらい想いがする。
時空を数式により歪めらた世界は、共感意識の人間の場を抹殺している。
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「死」という根源的時間から、ハイデッガーがいうように、アリストテレス以来の「存在」、デカルト以来の近代哲学の「思う」・「我」の見直しが入らなければ、人間存在は不毛となる。
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「いま・ここ」が生として、ハイデッガーは存在を可能性ある関わりと見るが、共感意識は封じられ、同じ感情が歪みによりネトウヨやネトサヨと変質されている。…ISや北朝鮮という存在の醸す絶対的哀しみ…現代社会の痛みを直視し、心と意識の進歩、成長、進化の境界面を、(単なる排除の視点ではなく) より高次の次元へ。
さて、全哲学者たちも、ナノを含める他の全生命、素粒子を含める他の全宇宙の「存在」のことを、忘れていたことに気づく。
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人類の精神の進化は、それらすべてを含め、その根源的時間を生という「いま・ここ」の空間に広げることであると、すでに宮澤賢治は気づいていた…とも。
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Photo by "インターネット上"

(乞問題あれば削除要請)

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