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2016年03月08日06:53

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カンニング竹山の言葉

この番組は好きで、仕事の都合で半分くらいは聴いている。

今回のこのコメントは、途中からだが生で聴くことができた。
赤江の気持ちも伝わったし良いコメントだったが、立場上(小林アナとの接点があまり無い)遠慮したのか、言葉が少なかった竹山の発言のほうに、その一節に、とても印象深いものがあった。

涙ぐむ赤江をなぐさめるように、
「でもさ、ナタリーは『いる』んだから」。
正確に再現できないが、「だから、仕事は辞めても仲間だし、また会うことも話すこともできるよ」と。

当然、竹山の早世したパートナー、小学校からの同級生、中島のことだ。「(彼は)死んじゃったんだから」というフレーズは最小限の一言だったし、「オレのほうが辛い」「あんたはまだいい」というようなニュアンスはまったく無かったけれど、なんとも言えなかった。

私も15年前に、親友をなくした。自分には「3人の特別な友達」がいると思っていた、その一人が自殺した。
遺体を収容し、葬儀を終えて年月が経ち、気持ちが癒えてゆく面はたしかにあるけれど、しかし同時に、長い年月が経つと、「おい、もうそろそろいいだろう。たまには顔出せよ」という気持ちにもなる。
随分長い間、会ってないよな、と思う。
「死ぬ」ってどういうことなんだろうと、それ以前にも漠然と考えたことはあったし、死ぬ本人にとってそれがどういうことなのかは、今でもわからないし、あまり(特に自分の死については)興味も無い。

でも、彼が死んで数年経って理解したのは、「人が死ぬってことは、そいつにもう絶対、確定的に会えないという事実を突きつけられることなのだ」ということだった。
「3人の特別な友達」のうちのもう一人は、中学からのつきあいだが、海外に移住してもう10年くらい会えていないし、先日メールのやりとりしたのも数年ぶりだったから、この10年の接点、共有した時間や空間や言葉については、どちらも大差は無い。
でも奴とは、会おうと思えばいつでも会えるし、また環境が変われば毎月会えるようになるかもしれない。
「死ぬ」とは、それが絶対にできないと、それをまざまざと示されることなのだと思う。

そういう意味で竹山の、「今そんなことを言う時ではないけれど」「そんなことを言いたいわけではないけれど」、でも改めての寂しさを感じたように思った。
運転しながら聴いていて、涙が滲んだ。



赤江アナ涙声…突然退社TBS小林悠アナの潔白主張
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=8&from=diary&id=3886912
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