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2016年03月03日10:22

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自分を拝む



以下、神渡良平「佐藤一斉・言志四録を読む」(致知出版)より。

世界的な神経医学の権威であり、大学行政にも腕を振るった元京都大学総長の平澤興は、このように言っている。
「自分を拝む。その自分は無限の可能性を持っており、素晴らしい創造力、かけがえのない霊性(心)を持っておる。このように尊い自分である」。(『生きよう今日も喜んで』)

自分の霊性に頭を下げる気持ちが、同時に他者の中の霊性にも手を合わせるようになる。
「人間に生まれたことを本当に感謝し,その幸せを喜ぶ。まあ、へまばかりやってきたが、私は私なりに一生懸命に生きてきた。でも自分も苦労したが、他人様(ひとさま)のご苦労もよくわかる。こういうふうに思うようになると、この自分を拝み、他人様も拝むことができるようになる」。

「自分を拝むことができなければ、本当に人を拝むことはできない。自分を拝むということは、うぬぼれとも、また自信とも違う」。

感謝報恩行はそこから始まるというのだ。
「自ら拝むことは、感謝報恩の前提である」。

自尊心とは、人間が身にまとう最も高貴なる衣装である。

ソクラテスも弟子たちに、「汝自身を敬え」と説いたが、自ら拝むほどに天にも地にも敬虔になった人間は、もはや放縦に身をゆだねることはない。自分は天の器であるべきことに目覚めたからには、精一杯の努力をしようと思う。こうしていよいよ人生は高み向かっていく――。

自分を拝めば他者にも手が合わされるようになることの好例が、日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルだ。

ザビエルはポルトガルの高貴な家に育ったが、改心することによって、快楽や名声や栄誉が、その実人間を怠惰にするものであることを知り、それらをかなぐり捨てて、伝道者の道を志した。そしてパリ大学で哲学の講師をしていたときに知り合ったロヨラとイエズス教会を結成した。

ザビエルは選ばれてインド宣教に向かった。キリスト教社会では宣教師は地位が高く、船旅も個室が与えられたが、ザビエルは航海中ずっとその部屋を使うことがなく、看板で暮らした。寝るときはロープの束を枕にし、水夫と共に食事をした。着るものも質素な法衣しか着ず、自ら下座に下りたのだ。

誰よりも腰が低いザビエルは、身を粉にして働くことを厭わなかった。面倒見がよく、水夫中から尊敬された。船員の中でも最も身分が低く、肉体労働しかやらせられない水夫たちを一個の人間として扱ってくれたからだ。

ザビエルと一緒にいれば気持ちが明るくなる――水夫たちはそう言った。ザビエルは七面倒くさい説教をするわけではないが、彼と共にいれば、何だか真面目になるというのだ。こうしてザビエルはインド宣教を始める前、航行中にすでに成功していたのである。

この例も「敬」が自分を作っていく上での重要な姿勢だと教えてくれている。


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