時間に追われて慌ててしまい、信号を見ずに車道へとび出し、ちょうどそこへ来た車にはねられてケガをしたり、ときには命まで失うというような例も実際には少なくありません。また、車の運転者のほうでも、急ぐあまり無理な追い越しをして事故をひき起こし、多数の死者を出してしまった、といった姿を頻繁に起こしています。
たとえ命のやりとりをする戦いの場はなくなったとしても、このような命のやりとりとでもいうべき好ましからざる姿が続出していることを思うにつけ、平常心、平静心というものが、今日においても必要不可欠であると痛感されます。
さらにまた、人との交渉の際などにおいても、また試験を受けたり、スポーツ競技に参加した場合などにおいても、同じように平常心、平静心というものが大事になってくるのではないでしょうか。
お互いが素直な心になれば、おのずとそういう平常心、平静心が得られると思います。すなわち、お互いが素直な心で物事を見、考えていったならば、物事を冷静に、平常心を保って見、考えていくということもできるようになると思うのです。
冷静さを失って慌てたり、あせったり、また平常心を失って興奮したりすることは、とりもなおさず、心が何かにとらわれていることを示していると思います。たとえば先ほどの交通事故の場合は、“急がなければいけない”という考えにとらわれていたともいえるでしょう。だからそういうとらわれがなくなったならば、おのずと冷静さを取り戻し、また平常心、平静心を保つこともできるのではないでしょうか。そして、素直な心というものは、まさにそういうとらわれのない、すっきりと落ち着いた心なのです。
・・・・・「素直な心になるために」(PHP)より。
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