条件を捨てている無条件の心には、すべてが善と映じるのです。
欲求も捨てている無要求の心では、すべてが喜びと感謝の対象となります。
立場を捨てている無立場の者には、他者との争いは起きません。
捨の心の持ち主は、常に平静です。寂の味わいです。
捨の心は受け入れる心です。生かされて生きていこうとの絶対心です。
すべての信頼を自覚する絶対心です。
捨の心には、恩を売る心はない。すべてにおかげを感じているのです。
すべてに愛を読み取っているのです。
打算を捨てた心には、人生のすべてがそのまま遊びです。
生活が遊びです。
仕事が遊びです。
遊びなるがゆえに、ただ無心に行じているのです。
捨の心には、好き、嫌いはないのです。成否もないのです。
ただ行ずるのみ、ただ生きるのみです。
成否や損得を捨てた心には、苦しみはないのです。
結果を任せた心には、不安はないのです。
ただ、与えられるままに生きる心には、焦りはないのです。
常時、不動心で、自然です。
以上、ヨガの師、珠数泰夫先生の「こころのヨガ」(LEVEL)から「捨の心」について引用しました。
これを読んでいて、次の二つのことを思い出しました。
★「壷から手が抜けずに苦しむお猿の話」
壷の中身は金平糖だったり麦だったり諸説あるようですが、猿が壷に手を突っ込んで中の金平糖や麦を掴んで取ろうとするのですが、壷の中で手で掴んでいるから手が壷から抜けなくなるお話です。・・・・ これに似たことが人生でもあるようです。
★大西郷の捨の心
西郷隆盛の「南州翁遺訓」に、
「命もいらず、名もいらず、官位もいらず、金もいらぬという人は始末に困る。だが、この始末に困る人でなくては大事はできない。なぜなら、こういう人は、ただ単に無欲というだけではなく、日々道を行っているからだ。正しい道を歩き続けているからこそ自信があって、何もいらぬと言えるのである」というのがあります。
江戸城無血開城のお膳立てをした山岡鉄舟が西郷隆盛を評した言葉です。
ログインしてコメントを確認・投稿する