永平寺の宮崎禅師は106歳で亡くなられましたが、禅師は亡くなる前、
「私の一生は、道元禅師の真似をして生きることだった。
1年真似をすれば、1年道元に近くなり、2年真似をすれば2年近づく。
そして、死を前にした今になって、やっと自分なりの道元が出来上がった」
と言われたそうです。
ひろさちや氏は「密教の読み方」で「マネをすることの大切さ」を説いています。
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徒然草にこんな文句があったはずだ。
「狂人の真似とて大路(おおち)を走らば、即ち狂人なり。悪人の真似とて人を殺さば、悪人なり」。
狂人のまねをすれば狂人。
悪人のまねをすれば悪人。
泥棒のまねをすれば泥棒。
そして・・・・
ほとけのまねをすればほとけ。
わたしはそう考えた。つまり、ほとけの真似をして生きる、そんな生き方・行き方があってもよい。
ほとけの真似をして生きる、そんな仏教があってもよい。・・・・略・・・・
わたしたちは、徹底してほとけのまねをすればよいのである。まねして、まねして、まねして死ぬまでまねしつづければよいわけだ。
それができれば、われわれはほとけとして結果的に生きられることになる。
(以上)
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まねでもよい、形をととのえると、心も自然にととのってくる。形のくずれは心のくずれとなり、その心のくずれがさらに形のくずれを大きくしていく。
「形は心」である。
はじめは真似ごとでもよい。口先だけでもよい。
「ありがとう」を唱え続くよう。徹底して唱えよう。
「ありがとう、ありがとう、ありがとうございます」
です。
そして、作り笑顔でもよい。意識して笑顔を続けよう。
いつかは、自分のものになり、やがて、私の本性にまでなっていくだろう、
と思いました。
真似でもよい。口先だけでもよい。笑顔と「ありがとう」を繰り返して、自分に、周囲に、わずかでもいい。明かりと喜びを与えることができれば、と思います。
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