mixiユーザー(id:9504635)

2016年01月16日20:06

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違いを受け入れるってこと≠関わらないこと

若い頃は、人並みに、思春期にありがちな孤独感も抱いたりしていましたよ、わたしだって(^^;。

自分だけ・・・って感覚が
なんとも痛かったし、同時に誇りでもありましたね。
だれにも理解されない、自分一人だけにしか分からない
そういうものを抱えて生きていくことの痛みと恍惚感・・・懐かしていですね。

で、そういう感覚が養ってくれたものの一つが
自分とは違うものを受け入れる大切さであります。

自分は周りの人たちとは違う
それを周りから矯正されることに怒りを感じる
だからこそ

わたしは貴方たちを否定しないから
貴方たちもわたしを否定しないでよ。
好き嫌いで言うと、お互いに嫌い同士かもしれない
けど、それでもお互いに在ることを認め合おうよ。

そういう考え方、姿勢を身につけたと思います。

けどね・・・
違いを認めるっていいつつ、逃げてるだけってこともありますよね。

たとえば肌の色が違う、国籍が違う・・・
そういう違いって、否定したり拒否したりする違いじゃない、それは確かだと思うんです。

けど、善悪の判断とか価値観の違い、美意識の違いとなると
違うってことは、ただ違うというより、間違っていると思えるわけです。

そうなると、それは、否定すべき違い、正すべき違い・・・ってことになりますよね。

ちょっと極論になるかもしれないけど
最近、よくニュースで耳にするイスラム国とかね・・・
わたしたちと、まったく違う価値観で行動しているでしょ。
それを、違いとして認めていいのか・・・というと、それは認めちゃダメなんじゃないかと思うわけです。
否定すべき違い、正すべき違い・・・なんじゃないかってね。

それはなぜかと言うと・・・
なんだろう・・・彼らが、自分たちが正しいと信じるものを、暴力をもって他人にも押し付けるからかな・・・

若い頃は、ただ単純に「かまうなよ」「ほっておいてよ」っていう気持ちだったんですよ、今思えば。
違いを受け入れるべきなんてカッコいい言い方をしていても
要は、わたしはアンタに関わらないから、アンタもわたしに関わらないでよってことだったわけです。
でも、関わらない罪もあるよなって・・・今は思うわけで・・・ふうむ・・・・・・

といいつつ・・・それを押し広げていったら、結局また、価値観の押しつけとかが生まれるし・・・

イスラム国とまで言わなくても
日常のあちこちで、お節介的に介入しなきゃ救えない人や場面もあると思う今日この頃・・・
人との関わりが、ますます悩ましいと感じるのでありました。
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