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2016年01月14日22:00

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誰だか知らない人の誕生日が明日だと教えられる。

何だか酷く不思議な気分がした。
とりあえず、表示が出る以上は誰だか知らなくても
自分と何らかの関わりがあった事は確かで、
でも全くどうした繋がりだったか、どんな
種類のコミュニケーションを取ったのかも
皆目思い出せない。

ただ、その人はそこにいる。

酷く自分が不人情で不義理な人間なような
気がして参ってしまう。
何故この人は私の友人として、
ここに名前が出ているのだろうか?
勇を鼓してその名前を探ってみるが、
矢張り全く心当たらない。

これは困る。

では何故この人は自分の知り合いリストにいるのか。
おまけにその人は明日が誕生日だと云う。
顔も名前も知らないが誕生日は分かるのだ。
いや、そのような情報が真実本当のものだ、
などとは特定は出来ない。何より、自分の誕生日が
本当に自分の誕生日なのだ、と確信を持って断言出来る
人間など、この世に一人も居はしないからだ。
自分の誕生日も、考えてみればそうである。
何より、こうして自分は何処の誰とも知らない人と
知り合いである事を、その人が明日誕生日である事を
教示されるという段階を踏んで確認されたのであり、
その通達された誕生日が真実のものであるとは云えない以上、
自身のそれも当然のように揺らいでくるのは必然と云えよう。

いや、自分の誕生日の事などどうでもいいのだ。
私の誕生日は明日ではないからだ。
それもおかしな話だ。自分の誕生日がもし明日なのだとしたら、
その場合には自分の誕生日はどうでもよくなくなるのだろうか?
それが真実か確定が出来ないと云ったばかりのこの舌で?
そうではない。そうではないのだ。
自分の誕生日の話ではないのだ。その何処の誰とも
付かない知り合い、と教えられている人が誕生日である、
という事が目下最大の問題なのだ。

では、改めて問うべきであろうか?
「貴方の誕生日が明日だと教えられてしまった者なのですが、
確かに明日が貴方の誕生日なのでしょうか?それは何を以て
真実である、と確信されたのでしょうか?」
いかんいかん。これでは何の事だか皆目見当もつかないし、
それ処か、喧嘩を売っていると解釈されかねない。
流石に、気の小さい自分には誰とも付かない人とは
喧嘩は出来ない。する理由もない。遡ってみると、
その人が明日誕生日であるから私は喧嘩を売った事になる。
これでは、気狂いの類いだと思い、知り合いである事を
やめられてしまうかもしれない。
しかし、それもよく考えてみると好都合なのではないか、
と思い始める。誰とも知らない知り合いなのだ。
ここで意見が食い違い(それが如何に気狂い染みたものであっても、だ)が
原因で知り合いである事を解消しよう、君とは(誰だか知らないが)
絶交だ!二度と顔も観たくない(一度も観た事はないが)!と
なってくれたらこれは好都合なのではないか?

いやいや、物事とは思うように進まないものだ。
ここでもしも、予想もしない角度から反応を投げ返されて、
迂闊にも和気藹々と、冷や汗を掻きながらでも盛り上がってしまったら
どうする?今後一生の竹馬の友となってしまうかも知れない。
誰かも知らない、その誕生日が真実かどうかも分からない人とだ!

これは困る。非常に困る。何より、そんな一生の竹馬の友に
「処で君は何処の何方かね?」などという愚問を発した、という
事だけでそれを永遠に喪ってしまうのはあまりにも惜しい。
事は単なる知り合い、ではないのだ。一生の友なのだ。
そのような憂慮すべき事態となった際に、最も困るのが、
その方が何処の誰かも分からないから、謝りにも行けない、という
事である。確かに自分は謝るのが嫌いで、人に頭を下げるくらいならば
別に知らぬ振りをして問題が風化するのを待ち、その結果として
更に事態を悪化させた挙げ句にそれらのお怒りになられた方々と
一生顔も見せられない関係(要するにそれは無関係となる、という
事だ(そしてそれは無関係よりももう少し、いやとても悪いものだったり
する))になったりした方がマシだと思い、常にそうして来た結果
存外友人や知り合いなどという人々を無くして来たものだったが、
それでも矢張り三つ子の魂は百まで、それ以外の手段は取り用が無い。

だが、更に考えてみれば、この方は誰だか分からないのだ。
当然、趣味嗜好も分からない。自慰はどのような趣向で行うのが
良いか、それに開眼した年齢は幾つだったのか、などという事は
当然知らない。
これでは、取り付く島も無い!それは非常に困る事である。
私は、こうして思い悩んでいるのに、その方はただ能天気に
明日は自分の誕生日である、という事を、それが本当に事実で
あるかどうかを(恐らくは)疑いもせずにのほほんと待っているのある。
世に人は言う。「知らずに後悔するよりは知って後悔すべきだ」と。
これは、拳拳服膺すべき金言であるだろう。つまり、その方は
私が何処の誰であるかも知らぬままにこうした迷宮のような思考を
巡らしている事を知るべきなのではないだろうか?

しかし、それにも問題がある。私は何せその方が誰か知らないのだ。
万が一にも失礼はあってはならない。その方が明日誕生日である事は
その方には余りにも自明過ぎる事なのである。もしそこに「貴方が
明日誕生日であると思っているそれは誕生日ではないのかも知れない」
などというタニマチに誘われてステーキハウスに入ったアントニオ猪木が
八百長問答を吹っかけられて激怒して云った台詞をもじった言葉を
投げつけられて、「この猪木気取りが!」などと不快になってしまったら
どうすればいいのだ。世の中には猪木信者ばかりではないのだ。
寧ろ猪木派は形見が狭い昨今である。その方が馬場派であれば
まだ話は早いが、もしUWF派で「何故あの時Uに参加しなかったんだ!」と
キレられてしまったら、平身低頭して謝るしかなくなってしまう。
そのような事態は謝るのが大嫌いな自分としては断固避けたい。
何より自分は対して猪木信者ではないのだ。猪木が神のようだったのは
83年くらいまでの話だ。誤解されてしまうと非常に哀しい。だが、
信者度を計るのであれば歴としたタイガーマスク信者ではあるので、
「へ、所詮は新日ゴールデンタイム視聴率30%神話が忘れんられない
回顧主義者め!今の新日にはそんな神話は無用なんだよ、くっせぇから
田口やキャプテンニュージャパンに近づかないでくれるぅ?」などと
煽られてしまうのは必定であろう。それは困る。

だが矢張り手がかりが無いのだ。
せめてまずは自分が猪木信者ではない、という事を
オズオズと提示して、そこから速やかにプロレスの話題から
退散する、というのはどうであろうか?
いや、もしその方が偶々同好の士であり、タイガーマスク信者で
あったなら・・・いや、過度の幻想は持つまい。
そうした場合、最悪二代目タイガー派であったりして、
つかみ合いの喧嘩に発展しかねなくなってしまう。
ああ、だが、私はそのつかみ合う手を持たないのであった!
これではいけない。

そう、そうなのだ。

私はまずは、こうした煩悶をしている、という事実を
曝け出すべきではないか?それを認識して貰うのだ。
そして、そこから全てを始めるのだ。
試みに、これを全文書き出してみよう。
それを、メッセージとして送信するのだ。
きっと、分かってもらえるに違いない。
寧ろ、その方も同じ煩悶を私の誕生日にしていたかも知れないのだ!
そうだ、そうに違いない。

ああ、だがしかしその方は何処の誰だか分からないのである。
私は何と云って書き出していいかも分からないのだ。
ただ、キィボードを前にして身を石のように堅くするばかりである。

ああ、気を悪くしないで欲しい。
明日が来るまでまだ暫く時間はある。
もう少しで着手出来る筈だ。
今暫く、待っていて貰いたいものだ。

全ての、全ての明日が誕生日の方に幸多からん事を。
それが真実の誕生日であろうとなかろうとも。
思い込みや虚偽であっても。
ここに認めた文章が何処の誰だか分からない人に
届く事は決してないが。

ただ無
                     



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