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2016年01月13日13:49

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「本は読むものではなく、霊感か、暖をとるためのもの」


 先頃、死が伝えられたデヴィッド・ボウイだが、1980年代まで反英米派だった私は、何の興味も関心もなかったが(というより、知らなかったし、知ろうとも思わなかった)、それでも、彼が出演した『ジャスト・ア・ジゴロ』という映画は覚えている。ボウイが扮するのは主人公のパウルだが、彼はドイツ兵として第一次大戦の西部戦線にいたが、やがて敗戦により祖国に復員する。しかし、混乱のドイツには職もなく、食いつなぐため転々とし、『追放された者』の作家で右翼テロリストでもあったエルンスト・フォン・ザロモンが所属しているような右翼の政治結社と接したりしながら、やがてジゴロとなる映画であり、なかなか面白かった。
 例えば主人公が、右翼結社のリーダーの地下の秘密の事務所に案内され、書架に並ぶニーチェやシュペングラーの書籍類を見て、「全部、お読みになったのですか」と訊くと、リーダーは「読んでる暇などない。霊感を得るために置いてあるのだ」というのは愉快なシーンとしてよく覚えている。
 読まない本といえば、ハンナ・シグラ主演の映画『マリア・ブラウンの結婚』に、第二次大戦後の闇市を歩く主人公のマリアに、「クライスト全集を買わないか」と声をかける男がおり、マリアが「本はいらないわ」というと、男が「薪にすると暖がとれるよ」という科白があった。
 通常、本は、読むものとされているが、それ以前に、インクの染みの付いたパルプの塊という物体でもある。私の定例研究会で、『資本論』についての拙論を読んだ時、物神としての商品の物性から、物としての意味を取り上げた。
 話を戻せば、現在、私を含め還暦を過ぎた年代の者が、20代、30代の頃に、影響を受けたり、人気があったり、有名だった人間が、長寿、平均的寿命、早すぎるかはともかく、次々と死んでいく時節になったのだろうが、そのうち、死ぬのは自分自身の番になるだろう。
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