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2016年01月08日00:58

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白い猫と白椿

私が小学校2年だった1966年4月9日、我家の洋服ダンスの中でプーコは玉のような3匹の子猫を産んだ。 普通ネコは出産を人に見られるのを嫌うが、プーコは見守る私の母がその場を離れようとすると、「見ていてちょうだい」と今にも子供が出てきそうなおなかを引きずって追いかけてくるのでトイレにも行けなかったと母が語っていた。

3匹のうち2匹はだれかにもらってもらうつもりだったので、名前は仮の名前を付けた。 とてもよくおっぱいを飲む子は「がっつき」、いつも1匹で他の2匹からぽつんと離れている子は「孤独の詩人」、まだ目も完全に開いていないというのに入れられた箱の縁に登って初めて見る世界を探検していた好奇心旺盛な子は「チャメ」と呼ぶことにした。 やがてがっつきと孤独の詩人の2匹の男の子がもらわれていき、唯一の女の子のチャメが我家に残った。 そして仮の名のつもりだった「チャメ」が本名になった。

チャメは非常に頭の良い娘だった。 そして、頭のよいネコは往々にして性格が意地悪なことがあるが、チャメはとても優しく、後から我家に来たネコたちをまるで自分の子供のようにかわいがってくれた。 そして、15年弱の一生で人を故意に噛んだり引っ掻いたりすることはついに1回もなかった。

チャメの母親のプーコは、私の母が外出すると、冬のどんなに寒い日でも外の門柱のところできちんと座って帰って来るまで待っていた。 チャメの優しさは母親から受け継いだものだったのだろう。

チャメの優しさ、頭の良さを示すエピソードを書き始めるときりがなくなってしまうので、またの機会にする(だいぶ前にそのエピソードのうちのいくつかを書いたことがあるが)。

チャメは私と一緒に大きくなったので、完全に私のことを兄だと思っていたようだ。

チャメが天国に旅立ったのは私が大学4年だった1980年12月10日だった。 14年と8か月と1日の生涯だった。 小学校2年の4月から大学4年の12月まで、チャメはまるで私の学生時代を見守るように生きてくれたのだ。 そして、旅立つとき、私の耳には「私はもういなくなるからね。もうすぐ社会人なんだから、しっかり生きていくんだよ」と言う声が聞こえた。

チャメは頭と尻尾のみトラ縞で、他は真っ白な白猫と言ってもいい三毛猫だった。 チャメの身体は今は庭のツバキの木の根元で眠っている。 そのツバキの木は、現在は12月から1月までイルミネーションがついて我家の人間だけだなく近所の人々の心も癒している。 そして、今の季節にはイルミネーションとともに真っ白な花を咲かせる。 その花を見るたびに「ああ、今年もチャメの椿が咲いた」と思うのである。


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パパは「チャメほどではないけどおまえもいいネコだよ」と言います。 「チャメほどではないけど」はないわよね考えてる顔   フェリ   
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