昨年大晦日の
紅白歌合戦が、歴代最低の視聴率だったとのコトです.
私自身もMISIAさんが「オルフェンズの涙」を歌った所しか見ておらず、後はガキ使を見ていました。
一方で、そのNHKの籾井会長は「番組内容は良かったと思う」とも述べています。
http://www.huffingtonpost.jp/2016/01/04/nhk-momii-talks-about-kohaku_n_8909082.html?utm_hp_ref=japan
私個人は籾井会長はあまり好きではありませんが、会長の発言の様に
視聴率を番組の絶対の物差しとするコトについては、紅白に限らず疑問を抱いています。
私が視聴率を番組の絶対の物差しとするコトを疑問とするのは、以下の三つの理由からです。
理由一:TVはリアルタイムだけで、TVの前だけで見られているワケじゃない
皆さんは見たいTV番組をリアルタイムで見ているでしょうか?
中には、仕事だったり遊びだったり様々な理由から録画してみる人や、見逃し配信で見る人も居るでしょう。
世にも、数字も良かったようで。でも、今、みんな、録画で見るよね?ドラマ。あと、携帯で動画とか。本当は、×2くらいの視聴率あるんじゃないの?すべてのドラマ。
北川悦吏子(@halu1224)氏のtwitterより
※「×」は絵文字だったため置き換えました。
ロンバケなどで知られる脚本家の北川悦吏子さんのツィートなのですが、私もその通りだと頷きました。
私も見たい番組の放送時間がちょうど仕事だったり、別の番組と被ったりしたために録画して見ているコトがあります。
ちょうど今放送中の「機動戦士ガンダム 鉄
血のオルフェンズ」が正にソレです。
仕事柄、日曜日も仕事というコトがあって鉄血は毎週リアルタイムで見れず、十三話までの段階で半分のエピソードは録画したモノを帰ってから見ています。
極端な話ですが、
あるTV番組を全ての視聴者が録画して見ていたらその視聴率は確実に
0%です。
視聴率を絶対の指標とするならば、
不人気も不人気でしょう。
ですが、その視聴者が
五千万人居たらソレは正しく
超人気番組です。
昔はリアルタイムでしかTVは見られなかったでしょうが、今やTVは
録画すればいつでも見れる時代です。
ましてや、スマホなどを使って
ワンセグで何処ででも見れます。
それなのに
未だにTVの、しかもリアルタイムの数字だけで考えているのは時代遅れの様に感じます。
理由二:視聴率だけでは取りこぼされる熱いファンの存在
先に録画で見ている例に出したガンダムは、三十六年も続く
日本を代表する一大アニメシリーズにして一大キャラクタコンテンツです。
ですが、その第一作たる「
機動戦士ガンダム」は、
打ち切りという不名誉な終わり方で幕を閉じています。
ところが、その後の再放送で熱狂的なファンを増やしていき劇場映画が作られるに至り、その後に数々のシリーズが作られ、現在放送中の鉄血に至っています。
コレは、
視聴率だけでは見えてこない熱いファンの存在がガンダムというアニメを大きくして一大シリーズにしたというコトです。
同じ様な例はガンダムの様なアニメに限らず様々な作品でも見られ、最近だと、私が大好きなドラマ「
SPEC」もその一つです。
SPECもドラマ本放送の時の視聴率は苦戦していたモノの、熱いファンに後押しされる形で続編となる映画「
天」と完結編である「
結(Close)」に繋がっていき、どちらも良い興行成績を収めました。
初代ガンダムにしてもSPECにしても、視聴率だけで測れば不人気アニメ、不人気ドラマと切り捨てられていたでしょう。
ですが、熱いファンという違う物差しを使って測ったからこそ、どちらも大きな成功を収められたワケです。
昨年夏放送されたドラマ「
HEAT」は最初映画化が予定されていた様ですが、
視聴率の低さのせいで映画化の話が白紙に戻ったとのコトです。
私自身はHEATを見ておらず評価は下せません。
ですがもし、熱狂的なファンが存在したならば、その声を拾い上げて映画化すれば初代ガンダムやSPECの様に大ヒットした可能性だってあったでしょう。
視聴率という物差しだけでは、ファンの声を取りこぼしてしまうのではないでしょうか。
理由3:選択肢は大きく広がった。なのに広がらない視野
昔は大晦日といえば紅白見て過ごすという選択肢を選ぶ人が多かったでしょう。
「かつては紅白だけしか選択肢が無かった」とまでは言いませんが、今は紅白見る以外にもたくさんの選択肢が広がっています。
TVだけでも、日テレはもはや大晦日のキラーコンテンツとなった
ガキ使(ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!)の「
絶対に笑ってはいけない」シリーズを擁し、他の民放キィ局も様々なTV番組を繰り出しています。
TVだって、民放以外にもCSデジタル放送で映画やドラマ、スポーツやアニメ見放題と選択肢は大きく広がっています。
TV見る以外にも、年越しライヴに行く人も居るでしょうし、TV見ずに過ごす(スポーツする、旅行する、仕事しているなど)人も居るでしょう。
そうなれば、
自ずと紅白を見る人間は減って視聴率も下がるでしょう。
ですが、ソレは
必ずしも紅白の内容の良し悪しとは直結しません。
他の選択肢を選ぶ理由には
「紅白がつまらないから見ない」
「紅白なんか古臭い」
「紅白に好きな歌手が出てない」
という理由も確かにあるでしょうが、
「紅白は好きだケド紅白に出ない大好きなバンドの年越しライヴに行きたい!!」
「紅白見たいケド仕事で見れない!」
「紅白見たいのに行きたくもない飲み会に誘われた……」
という理由もあるでしょう。
紅白に限らず、「
選択肢が広がった」コトによるTVの相対的な視聴率の低下はあるでしょうが、
ソレを番組の評価に直結させるコトは必ずしも正しい見方だとは思えません。
この様な見方をしてしまうのには、選択肢の広がった現代でさえ「
大晦日といえば紅白」「
娯楽といえばTV」という感覚が抜けていないコトがある様に思います。
大晦日の過ごし方にせよ娯楽にせよ、昔より選択肢は大きく広がったのに感覚は昔のまま。
「
視野が狭い」
とでも言いましょうか。
イイ加減、
娯楽の選択肢に関する視野を広げてもイイ、そう私は思います。
長々と書きましたが、私は視聴率という物差しを否定するつもりはありません。
ですが、視聴率や娯楽といえばTVという感覚に囚われているコトは
TV番組の、引いてはTVの可能性を殺すコトだと感じます。
今のTVにも好きな番組はありますし、TVは娯楽の一つとして好きです。
だからこそ、
視聴率だけでは取りこぼす声を拾い上げ、TVは娯楽の選択肢の一つであるという感覚を持ってTV番組を作っていって頂きたいのです。
まだまだTVで楽しみたい、だからこそ視聴率だけに囚われて欲しくはない、そう思うのです。
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