mixiユーザー(id:5456296)

2015年12月19日00:08

278 view

「下町ロケット」以上の苦難!“下町ボブスレー”五輪への遠い道

 下記は、2015.12.18 付のダイヤモンド・オンライン 岡山史興 氏の記事です。

                      記

 今クールの最注目ドラマ『下町ロケット』。12月20日に最終回を迎えるが、大企業と中小ものづくり企業の軋轢や、それを乗り越えていくストーリーが多くの視聴者の心を掴み、番組の視聴率はついに20%を超えた。

 まさに「ものづくり立国ニッポン」の現場を描くことで視聴者に元気を与えている同ドラマだが、その注目の陰で、数年前から注目されてきたある町工場主体のプロジェクトが、1つの試練を迎えていた。

 2015年11月17日、日本ボブスレー・リュージュ・スケルトン協会は、2018年に控える「平昌冬季五輪」において、東京都大田区の中小企業による「下町ボブスレー」プロジェクトが開発したマシンを採用せず、ドイツ製のマシンで戦うことを決定、発表した。この瞬間、「下町ボブスレー」は3度目の大きな挫折を経験することになった。

 この「下町ボブスレー」がたどってきた苦難のストーリーと、現在見据えるこれからの挑戦について、発起人である細貝淳一氏(株式会社マテリアル代表取締役)に話を伺った。

大田区ものづくり企業が結集した「下町ボブスレー」プロジェクト

 大田区の製造業社有志により結成された「下町ボブスレー」プロジェクトは、リーマンショック後に生まれた、「製造業の技術を1つの想いで束ねて世の中に届けていく」取り組みだ。当時大田区では、元々操業していた9000社あまりの製造業企業が、約3000社へと激減していた。ものづくりの業界において、隣の会社が潰れることには想像以上のデメリットがあると、「下町ボブスレー」の発起人である株式会社マテリアルの細貝淳一氏は語る。

 「大田区は試作業界でやってきた。スピード重視、そして横の連携で依頼されたものを形にするということが強みの1つ。ものづくりの世界は、地域の先輩が図面や工具を貸してくれたり、支えあって成長してきた。だが会社が潰れてしまうと、地域が持っていた横の連携が成り立たなくなり競争力が失われてしまう。1年目の企業は銀行からの信用も低く、新規で立ち上げていくことが難しいため、その穴を補完していくこともできなくなってしまう。そんな危機感から、もう一度隣とのつながりを強化していく集まりをつくりたいと考えたのが『下町ボブスレー』のきっかけでした」(細貝氏)

 大田区のものづくり企業が再結集していくためのテーマとして選ばれた「ボブスレー」。このテーマ設定、ただの思いつきで生まれたわけではない。検討の際に基準となったのは、「長く続けられるもの」「つくって試行錯誤できるもの」「羽田空港を拠点に物流が広がり、世界にアピールできるもの」といった要件を踏まえていること、そしてその上で「伝えるのが不得意なものづくり企業でも注目してもらえるフィールドで戦うこと」だった。

 さらに、当時注目を集めていた新素材「炭素繊維」を活用した取り組みに狙いを定めることで、ニュースとしての価値がより高くなる。そう考えた結果、人々の注目が集まる「冬季オリンピック」に炭素繊維を使った「ボブスレー」の機体を製造・提供する、という挑戦に取り組むことになったのだ。

 「このプロジェクトを実行するのに、説得や納得という過程は必要ないと考えていたし、実際そうだった。納得ではなく、共感してもらうことで皆が集うことができた。もし、共感が広まらなかったら、それは自分が間違っていたということ。でも皆が共感して始めていくことができた。自分の原理原則に基づいて考えると、これは『進めるべきこと』だと判断できた」(細貝氏)

 ソチオリンピックで味わった2つの挫折

 「下町ボブスレー」プロジェクトは、ものづくり企業が力を合わせた取り組みとして、発表時点から大きな注目を集めることとなった。

 だが、最初のチャレンジとなった2014年のソチオリンピックでは無念の「採用断念」となる。その裏側には2つの挫折があったという。

 1つ目は、予算不足から女子代表の出場がなくなってしまったこと。2012年12月に全日本選手権大会にて初めて使用され優勝、2013年3月にはアメリカ国際大会にて使用されるなど、元々女子代表とタッグを組んで始まったプロジェクトだっただけに、この決定は製作チームに大きな打撃を与えた。この決定を受けて、下町ボブスレープロジェクトは、改めて日本代表男子チームと協定を結び、男子用のマシンの製作にとりかかることになったが、その結果起きたのが2つ目の挫折だった。

 その2つ目の挫折とは、男子代表の最終機体チェックを通過できなかったことだった。この件は当時多くの報道でも取り上げられたが、その詳細について語られることはなかった。当時行われたレギュレーションチェックについて、細貝氏は次のように振り返る。

「実は27項目、すべて通過していたはずだったんです。前日に監督や選手のチェックも受け、問題ないと判断されていた。本当に問題があったのであれば、その時点で伝達があるはずなのに、あれは気づいていたのに言わなかったとしか思えない出来事でした」(細貝氏)

 さらに細貝氏によれば、レギュレーションチェックに即時対応できるよう、製作チームの持ち出しで全く同じ2台のマシンをつくり、1台はヨーロッパでのチェックに、もう1台は日本での調整・修正作業用にと準備をしていたとのこと。にもかかわらず、このような結果になってしまった要因については「(連盟と製作チームの)互いのコミュニケーションに少しずつ溝が生まれてしまったのでしょうね」(細貝氏)と淡々と答えた。

 「ボブスレーを盛り上げる」ことは出すぎた行為だった

 では、その「溝」はなぜ生まれてしまったのか。プロジェクトを発足させた細貝氏は、そもそもボブスレーという競技自体の知名度がまだまだ十分でないことに気づく。製作チームは記者会見を行ったり、スポンサーの獲得を働きかけたりするなど、ボブスレー自体への注目を集めるため、様々な施策に取り組んだ。そうして連盟とも正式に協力協定を結び、一体となってオリンピックを目指すことになった、はずだった。

 だが、製作チームへの注目が集まれば集まるほど、連盟側と製作チームの溝は深まっていった。製作チームに集まった支援金の中から300万円を選手の遠征費として供出したりするなど、競技自体を盛り上げるための協力行為が、連盟にとっては「出すぎた行為」として映ったのだ。

 また、そういったすれ違いに拍車をかけたのが、企業の中でもよく見られる「現場と会議室のズレ」だった。

 「マシンの開発や調整に関して、連盟側からアドバイスをもらった内容を反映するとデータ解析上は『遅い』マシンが出来上がってしまう、ということがあった。実際に1台のマシンを指示通りに組み上げて検証も行ったが、やはりデータは正直で、検証をすればするほど連盟や監督の言っていることが間違いだとわかる。こちらとしても意固地になっていたわけではなく、技術者として伝えるべきことを伝えていたのだが、彼らからすると、素人が言うな、ということになってしまい溝が広がるばかりだった」(細貝氏)

 他にも、連盟のスポンサーが入手してきた中古のソリを使わなくてはいけないという「配慮」や、国際連盟から海外への招待があっても、日本連盟が「ビジネスクラスでないと行かない」という返答をすることで、「下町ボブスレー」の機体を使用する機会が奪われてきたのだという。

 同様に、今回改めて臨んだ2018年の平昌オリンピックに向けた機体選考会でも、1日目はエントリーしたマシンの中で最高速を記録していたにもかかわらず、2日目の試験では、重量規定を理由に落選となり、海外チームの中古ソリが選定される運びとなったのだ。この時期に選考会を行うこと自体については、今後レギュレーションが変更となる可能性もあり、一部では疑問の声も挙がっているという。

 こうした一連の「すれ違い」に対する無念は、細貝氏の次の言葉によく表されている。

 「最初は一緒に成長をしていこう、という姿勢だったにもかかわらず、今ではいちベンダーの扱いになってしまった」

 あくまでも「日本で認めてもらう」ために海外へ

 残念ながら2018年の平昌オリンピックでは、日本代表に使用してもらうことができなくなってしまった「下町ボブスレー」だが、製作チームは既に海外の複数国へオファーを出し、「次」へと動き始めている。

 「オリンピックというと利権があることに気づいた。だが、オリンピックで不採用でも開発を止めるわけではない。日本で使ってもらうためにも、海外に行って成功することが必要なのだと考えている。日本だけで開発を進めても長野では走らせてもらえないし、製作チームで抱えていたパイロットも代表チーム入りしたことで、我々のソリに乗れなくなってしまった。これはもう、海外に行くしかないんです」(細貝氏)

 多くの共感と支援を集め、技術力で実績をつくってきた「下町ボブスレー」プロジェクト。大田区のものづくり企業が一丸となり、大手企業も技術協力する一大ムーブメントとなったこのプロジェクトであっても、様々な要因に成功を阻まれてしまっている。まさに、「事実はドラマよりも奇なり」を地でいくケースだ。

 しかし、製作チームはまだまだ諦めていない。トレンドとなった取り組みには多くの人が手を貸すが、ダメになったら当然背を向ける人もたくさん出てくるだろう、と前置きした上で、細貝氏は次のように今後の決意を語ってくれた。

 「最終的にはプロジェクトを始めたころの自分を振り返る。最後は自分一人でもトンネルを掘り続ければいい。ただし、このプロジェクトはチームワークが機能するかどうかが踏ん張りどころだと思っている。一度、人が離れても、また戻ってくるまでやり続けられるか、結果を出すために努力し続けられるか。資源がないのに成長してきた日本の強さは、そういうものづくりの技術と精神に基づいているのだから、本物の技術の下に日本中が協力できるような世界一の技術集団国を目指していきたいです。そして、その1つの象徴として、下町ボブスレーを日本代表に使ってもらう、という目標は必ず実現していきたいです」

 http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%e3%80%8c%e4%b8%8b%e7%94%ba%e3%83%ad%e3%82%b1%e3%83%83%e3%83%88%e3%80%8d%e4%bb%a5%e4%b8%8a%e3%81%ae%e8%8b%a6%e9%9b%a3%ef%bc%81%e2%80%9c%e4%b8%8b%e7%94%ba%e3%83%9c%e3%83%96%e3%82%b9%e3%83%ac%e3%83%bc%e2%80%9d%e4%ba%94%e8%bc%aa%e3%81%b8%e3%81%ae%e9%81%a0%e3%81%84%e9%81%93/ar-BBnG9O4?ocid=LENDHP#page=2
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する