美しいものは悲しい。悲しいものは美しい。
花の盛りの向こうに透けて見える散華。
真っ最中、といいたくなる命の謳歌、青々とした木々とセミの鳴き声の向こうに見える無数の死。
全ての虫の声の絶えたころ、一年で一番の化粧を始める公園の木々。
華やかに着飾る森、花よりも美しいそのあでやかさの向こうに待ち構える落葉と、沈黙。
そして冬が来る。
全ては白に飲み込まれる。
四季のある国にいると、そして毎日森を通過する生活をしていると
自分の一生を繰り返し見せられている気がしてくる。
はたして私の春はこんなに艶めかしかったか。
私の夏はこんなにも命の喜びにあふれていたか。求むることに迷いはなかったか。
私の秋はこんなにあでやかだったか。枯れる前の自信にあふれていたか。
やがて来る落葉と白の世界をおそれてはいないか。
それが、今。
まだまだ明るい森も、やがてすべての葉を落とし、沈黙に飲み込まれる。
やがて来る真っ白の世界を私は知らない。
でも晩秋の雑木林を通るたび、思うことがある。
その枝ぶり、染まる色の色合い、周囲とのバランス。
何という自然の妙、なんという完ぺきな美しさだろう。
天の筆遣いの何と見事なことか。
これを最新のアプリで音に置き換えたら、素晴らしい森の交響曲が聞こえるに違いない。
その音が毎年毎年、年の暮れに沈黙に飲み込まれていくことを誰もが知っているから
だから、森はあんなに美しいのだ。
色が落ちて、燃えるようだったドレスの色が周囲の緑と変わらなくなっていっても
そのただなかをゆっくりと、飼い犬と歩む老婦人のように
自分は自分の道をゆき、自分の歌を歌う。
なにもかもがなくなっても、大地にはなにがしかの実りが残されているだろう。
そんなことを思いながら歩いた、12月15日なのでした。
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