これを読み始めた頃から、
「あぁ、自分はなんて安易にぽんぽん投句しちゃってたんだろう
、
駄作ばかりを残してどうする、恥ずかしすぎる
」
と気がつき、その後ほぼ投句できない状態に陥ってしまっておりました。
最後まで読み終えたものの、よかったのでもう一度ちゃんと読みなおそう、と思い、
そこでまたまた日常の雑事に追われて読むことがストップ。
12月に入り、いや、やっぱり練習あるのみだ、
英語もピアノも俳句も皆同じだ(←かなり乱暴だけど)、
駄作でもなんでも、とにかく一日一句だ
、
と思ったものの、ここ最近、またさっぱりと考えられなくなってしまったのでした。
今考えられる理由は、川柳という別のコミュニティの存在を知り、
覗いてしまったせいだと思われます。
川柳ならぽんぽんと湧くようにでてくる、でも俳句となるとそうもいかず、
さっぱりなんです。
川柳の方がずーっと面白いし、ねぇ。
(まぁ、当たり前だけど。。。。
)
じゃあなんで、俳句にこだわる必要があるんでしょう??
歳時記読み込みながらうんうん唸っていると時間も無駄にかかるし、
もっと気軽に考えればいいじゃないか?と。
でも、それなら別に川柳でも充分なんじゃなーーい?
私のからっぽな頭でもそれなりに使うわけだし。。。
なーんて考え始めたら、はっきりいってなんだかもう
どうでもよくなってくるし、、、
…あぁ、なんていい加減なんだ、私。
…かなり大袈裟な書き方をしてますが、
俳句&川柳に関しては、このmixのコミュニティ内の話なんです。
というわけで、自分の頭の中を整理したくて、今こうやって
この日記を書いているわけで。
要するにこれはだらだらと独り言ですね。。。スミマセン。
俳句に出会ったのは大学時代、宮坂先生に指導していただいたおかげで
その面白さを知ることができたんだと思っています。
(今はかなり偉くなっており、私からみたらもう雲の上の存在ですわ。。。)
でもとにかくその当時はとても親しみ易く、身近に感じていた先生で、
優しく優しく指導してくださいました。
で、俳句ってすごくいい!!これは面白い!! と目覚めたわけで。
もともと言語や文章を作ること自体への興味があったせいもあると思いますがね。
で、確か4年の後半になってからなんだけど、自分の担当教官になにげに
俳句って奥が深くて面白いですよね、というような話をしたところ、
「いや、僕は俳句はあまり。あれは完全に自己満足の世界ですからね。」
と”きっぱりと”否定された、というショッキングな出来事がありまして、、、、、
まだ二十代の乙女だった私、
それはそれは「かなりの」衝撃だったわけです。
何故かといえば、宮坂先生と南原先生(南原実先生です)、どちらの先生も
同じようにお慕いしておりましたし、
先生の言うことは正しい、と理屈抜きで考えていた時代でもありましたし。
そもそも自分の学科を選択したきっかけが、
(今考えると相当いい加減な理由なんだけど
)
あの独特の笑顔で学科の紹介を淡々とされた南原先生の話に、
いたく感銘を受けまして、
「よし、この先生の下で私は3年間頑張るぞ
」
と思ったからこそ、そこに入ってしまった、という、、、
(今はどうなっているのかわからないけど、
当時は大学にはいって一年目は教養部、
2年目からはそれぞれが選択した学部に分かれ、
その中でさらに学科を専攻するシステムでした。)
先生の第一印象がものすごく強かった、いや、話の内容もよかったけど
それよりもあの笑顔だ、あの笑顔にだまされたともいえるかもしれず
(…とてつもなく失礼な物言いをしておりますが、あの笑顔を御存じの方であれば、
きっと納得してくれると思います、○十年経った今でも忘れてません!)
でもね、そこの学科にいた3年間はとても充実したいい時代でしたヨ。
(ただ学業に専念したというよりは社会勉強の方が主でしたが!
)
…で、かなり脱線したようなので軌道修正すると、
俳句は、奥も深いけど、どうでもいい人にとってはこの上もなく滑稽にみえる
シロモノになりつつある、ということも、当時私なりに理解しちゃったんですよね。
それでも今年、また俳句を再開した私、
結局この年になって、いや、やっぱ俳句はいい、
ボケ防止には間違いなくなる!!し、
日常のなにげない一瞬も大事にできるようになる、
という意味で、句を作ることはとてもいいことだ、ともわかったんです。
…あ、そーか、そこが川柳との違いではあるわけね。
ただ楽しいだけでなくて、もうちょっと日常生活をキラキラ
させてくれるのが
俳句なわけですね。
どれだけキラキラのことばを紡ぎだせるか、で、これがまた難しい、ややこしい。
とはいえ、頭を使うのは俳句も川柳も短歌も同じでしょうし。
安易に川柳に引き込まれつつある私に誰か喝をいれてください。
いやいやいや、誰かに言われてホイホイ変わるようではまたいつどうなるか
わからないですものね。
やっぱり自然に句がでてくるまでは待つしかないのかな。。。
追記:南原先生が青木湖畔で悠々自適の生活をしていたことは風の噂で知っていたのですが、
闘病後に亡くなられたことは後になって知りました。
もう一度お会いしたかったです、この事実を知った時はほんとにショックでした。。。
でも宮坂先生には私が頑張ればまた胸をはって会える日がくるかもしれません、
同じような後悔をしないよう、、、そういう意味でも頑張らないといけませんね。
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