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2015年12月03日16:13

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ミックスカルチャー日本文化チャンプルー…音楽考。

大陸からの影響と《楽典》という権威。
この二つを洗い出すと、残ったモノが出てくる。
西洋から見た新大陸が旧文化圏だという話…当たり前っちゃ当たり前なんだけど。

まずは、少数文化になってしまった獅子舞から列島文化の多様性と閉鎖性、ルーツの仮定を。



この映像は東京都の国立市にある谷保天満宮の獅子舞を観に行った時に撮影したもの。
何でもないような剣舞に見えるけど、個人的には昔見た映像との酷似に感激したもの。
奉納舞台が土俵というのも興味をひいた。
立地上、府中の地方官衙址(大國魂神社)に近く、国分寺との中間あたりに存在し、古の合戦場にも近い。

《参考資料》
http://www.kankou-fuchu.com/entry.html?id=40317

東京都山間部の獅子舞と異なるのは、中世以降のストーリー性が高く、娯楽性の強い長丁場の舞いではないという点。
ただ、山岳部の獅子舞の持つ要素が、獅子舞と剣舞に分かれている感は否めない。
山武士装束の人々と共に行列を作って天満宮境内に入場するところは、寺院からの参り舞として共通しているとも考えられる。
つまり、仏教の権威権力が強かった時期は、天満宮とはいえ管理者は僧侶の受け持ちだったと考えられる訳だ。
神道が国家神道の言うような一律性を持っていなかった証しとも言える。
このことは別の角度からも言える。
元来、杜や祠を祭した神社には『熟饌』というお供え物がされたそうで、温かな煮物など生活の中の食事を『神饌』としたそうだ。
格式ばった作法と体裁を要する乾物等の『神饌』は、地方官衙への納税(物品)習慣をルーツと見る事が出来る。
民間レベルで残るのが『のし』や『みずひき』である。
ちなみに、『みずひき』には家督を継ぐ者にのみ継承され、結び方に意味を持たせ、家系の証とする風習もある。

さて、剣舞。
剣舞と剣道剣術に見る流派別の形、妙な共通性があったりする。
この事を頭の片隅に置いて大陸に目をやると《中国武術》の存在が目につく。
創始者が少林寺のダルマ大師でインドから伝えたという伝説い着目。
…以前に見た映像はインドの物だったので余計血が騒ぐ。

実際に当時見た映像とは異なるけど…。



剣舞はインドから西にも広がりを見せている。
以前に記した『キリスト教とイスラム教同じ…?』に付帯として考えると、『楽典』は一書籍であって、自由な考察のための基礎知識であり、音楽論根底からの権威を司るものではないという話になる。

少し寄り道。
和音と音階について考察する時、キリスト教音楽を基底に置いた楽典は、唯一無二を求める傾向がある。
でも、そのキリスト教(西ローマ系志向)の下地には『オーソドクス教会(聖教教会)音楽』が存在している他、『マドリガル』や『カルミナブレナ』の存在がある。

かなり洗練された教会解釈に基づくと思われる中世音楽。


荘厳なイメージからほど遠いけど、近年、ヨーロッパの教会の壁から発見された遺物から再現されたものとのこと…。


グレゴリアン聖歌にも面白い話がたくさんある。
本来の歌い出しの歌詞及び歌い出し音程には関係性があって、一週間で一回りするように聖書記述に沿って毎日の歌が決まっていたそうだ。
それが元で、音階名が7個に定まったのだそうだ。
国際標準規格基準音の制定も、元を辿れば教会の鐘の音の規格化だそうだ。

えっと、剣舞…気になってしようがない黒海周辺をみると。
…最近、日本での国名表記が変わってしまったジョージア(グルジア)、聖書編纂時代に異端扱いされたキリスト教派閥が大元に在るらしい国。
しかしながら…

オーソドクス系


と、かなり洗練されたグルジア音楽


ここで、思うのが「速いパッセージと旋回ジャンプ」…コサックダンスと云われるものに酷似する。
そう、コサックはカフサスと同意語なのだそうだ。
つまり、ロシアは本来、ルーシと呼ばれる人々の国で、開発及び布教のための一団がカフサスからやって来たということでコサックと呼ばれることになったのだそうだ。

剣舞と移民には深いつながりが隠れている可能性があるということ。

音楽だけをとってみても、微音程音階の方が普通な事だと言える。
黒海を挟んだモルダビア音楽との繋がりは道見えてこないけど、黒海海上交流や黒海そのものが干上がっていたという空想は面白いと思う。
また、モルダビアを絡めた、中東世界からブリテン島の共通性、ダブルリード楽器とバグパイプの関連性も面白いので、機会有らば…。

一気に列島に戻って…。
剣舞と僧兵、開発移民または敗走移民について考えてみると、神道と日本(単一)民なる幻想が砕け、より大きなダイナミズムを持って、異文化交流の体を見せてくれる。
一つ例にしてみると、日本神話の『ヤタガラス』、本来は『ヤ・アタ・カラス』だそうで、『アタ』は当時の計測軽量単位・尺度であり「大きなカラス」という意味らしい。
もう一つ、『アタ』という音には、悪いモノに冠詞として使われていた侮蔑の意味もあるとのこと。
カラスを忌み嫌う風習から考えると、蝦夷(エミシ)や穢土(エド)と同じに使われ、先住文化どうしのいざこざの中、移民と取引した部族として考える事が出来る。

中央集権型のシステムが構築されていく姿は、地方官衙や城柵遺構から判断される。
では、その前段階での文化交流は?

《参考資料》
こちらは現奈良。
http://www.kashikoken.jp/museum/permanent/jomon/jomon.html

こちらは現青森。
http://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/photo/doki.html

縄文式土器の装飾デザインの流行り廃れも面白いけど、射光器土偶の様な物も列島各地に存在した可能性が強い。
つまり、先住文化同士の交流は存在した。
戦乱が有ったかどうかはまだ判らないけど、石器時代から人々の移動と交流の痕跡は有ったということだ。
ここで、面白いアイテムを…『マイクロリス』
細石器とも言われている石器。
これが、ヨーロッパ・ユーラシアの北極圏の遺構なんかで見つかっているとのこと。
これって、凄い事だと思うんだけど…ある意味、石器時代のグローバル観。

今回の〆。
列島の先住文化と北極圏・太平洋・環太平洋文化圏が存在していた可能性が『音楽』の世界からも見えてこないか?
…実は存在するんです。
脳が判別する音、大まかに二つに分かれてしまうのだそうです。
『虫の声』を脳が雑音と判別するか音楽と判別するか…脳の反応としては右脳で受け取るか左脳で受け取るかで、認知レベルの判断を下してしまうそうな。
究極を言ってしまえば、自然音(倍音)を楽音か雑音か判断する生理的レベルで2種類の人類に分ける事が出来るということです。
つまり、大陸文明型(ある意味西洋型)と非大陸文明型(ある意味先住文化型)。
てな訳で来年早々は太平洋を渡っての不思議な共通性を…。

おまけ。
この様な方法でパレスチナ問題を見ると、イスラエルの建国は再考すべき課題にもなるんです。
古代メソポタミアの楔形文字資料群とエジプト・ギリシャ・アラム資料群、中東世界の遺跡遺構群を調べていくと、フェニキアと同じく、ヘブライの民は存在したが流動性が高く、シナイ文化も独立性に乏しく、一時的に移民・流民による人口過剰都市が形成され、ソロモン王国・ユダ王国・イスラエル王国とは言うものの、実質的にはアラムの傭兵都市、基地だった可能性の方が強く、よく言われているユダヤ人は存在せずユダヤ民が存在したようなんです。
つまり、現エジプト人も現パレスチナ人も現ユダヤ人も歴史的区別の必要性と古代歴史観を持ちだしての現段階民族の土地所有正統性保持・主張は無効ということなんです。
言葉の違いは現日本人と現韓国人・現朝鮮人の関係の様な物で、本来は同根の文化風習を備えたほぼ同一民族なんです。
ユダヤ教も派生当時の考古資料から、文字群はエジプト民衆文字に根源を見出せ、戒律に関してはギリシャの哲学者集団の行った修道生活に根源を見い出せるんです。
戦争は無意味です。
イスラエル、日本、英国などに共通項があるとしたら、異文化交流の中で育まれた狭義な独自文化風習にあると思われるんです。(英語は現在広く使用されているけど、周辺言語群から切り離すことはできない新しい言語で、日本語やヘブライ語の生成過程に似ている感が否めない。)
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