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2015年11月20日08:47

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東大寺の焼けた東塔、巨大な土台跡を確認 国内最大級か

 下記は、2015.11.20 付の朝日新聞デジタルの記事です。

                    記

 平安時代に兵火(へいか)で焼け、鎌倉時代に再建された奈良・東大寺の東塔(とうとう)が、中国・宋伝来の最新技術で建てられた、国内最大級のものだった可能性が高まった。東塔跡(国史跡)を発掘した寺が19日発表した。奈良時代の創建時より一回り大きく、国内に類例のない規模だったことがうかがえるという。

 大仏殿の南東と南西に750〜60年代ごろ、東塔と西塔(さいとう)が建てられた。東塔は平氏の焼き打ちに遭い、1227年に再建されたが、1362年に落雷で焼け落ちた。

 寺と奈良文化財研究所、奈良県立橿原考古学研究所が、柱を立てる礎石を置いた穴や階段、石敷きなどを発掘。鎌倉時代のものとみられる基壇(きだん、土台)は一辺約27メートル、東西南北の各面が柱間3間の構造で、建物部分が約17メートル四方だった。一方、創建時の階段の端とみられる石も出土。基壇は一辺約24メートルとみられる。

 現存する仏塔で最も高い京都・東寺(とうじ)の五重塔は高さ約55メートル。東大寺の東西両塔は約70メートル、もしくは約100メートルという2種類の高さの記録がある。江戸時代の絵図は、失われた西塔の跡を柱間5間、東塔の跡を3間で描いているが、今回の調査で、創建時は5間だった両塔のうち、再建後の東塔は3間に変更され、より大規模になったらしい。

 調査団長の鈴木嘉吉(かきち)・元奈良国立文化財研究所長(建築史)は「奈良の寺は天平時代の姿で復元するのが常識だったが、初めて覆った。大仏殿や南大門と同様、中国・宋の様式を採り入れ、柱を太くして丈夫な塔を造ったのでは」と話す。柱間の寸法(中央が約6メートル、左右が約5・4メートル)は南大門と同じで、奈良時代よりも柱を太くして「貫(ぬき)」と呼ばれる水平材を柱に通し、建物の構造を支えたと考えられるという。

 来年、創建時の遺構の調査を始め、2021年から基壇の整備に入る。934年に雷で失われた西塔の跡は17年に調査を始める予定。

 現地説明会は21日午前10時〜午後3時。問い合わせは東大寺(0742・22・5511)へ。

 (栗田優美)

 http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e6%9d%b1%e5%a4%a7%e5%af%ba%e3%81%ae%e7%84%bc%e3%81%91%e3%81%9f%e6%9d%b1%e5%a1%94%e3%80%81%e5%b7%a8%e5%a4%a7%e3%81%aa%e5%9c%9f%e5%8f%b0%e8%b7%a1%e3%82%92%e7%a2%ba%e8%aa%8d-%e5%9b%bd%e5%86%85%e6%9c%80%e5%a4%a7%e7%b4%9a%e3%81%8b/ar-BBndWSN?ocid=LENDHP#page=2
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