美味しいと思って欠かさず呑む人。
美味しくないと思って呑まない人。
広告を信じる人。疑う人。
盛り上がる話題に高揚する人、冷める人。
俺もその中のどれかの筈だけど「マジシャンとして」は、どれでもない。
「この術は 何で出来ているんだ?」
そんな関心から見ようとしてる。
信じる人が圧倒的だったころは、例のコピーはそのままの意味だった。
そうでなくなり始めた今は、そのコピーと並行して
「お祭りなのです。深く考えずに解禁を楽しみましょう」
そして本国のフランスがテロで沈みこんだ「たった今」は、献杯。なんとも歯がゆいな。
「ヌーボー」を「サイババ」に置き換えてみよう。
信じる人が(あるいは半信半疑の人が)圧倒的だったころは、「聖者っているのかも!」
そうでなくなり始めたときは「手品じゃね?」
そしてトリックが明白になった時点では
「でも、それで集めたお金で病院とか作ったし、福祉に貢献したんだからいいじゃん!」
「マジシャンとしては」…うまいなあと思う。
でも、それを離れた一人の庶民としては、汚いなって気持ちも持つのよなあ。
術ってそーゆーもんなのよ
わくわくして見てる人にしか、術は効かない。
いつか、ヌーボーの術者とおしゃべりしてみたいもんだな。
同じマジシャンとして、さ
■まだ2015年なのに「今世紀最高の出来」? ボジョレ・ヌーボー解禁、テロへの配慮で乾杯自粛
(キャリコネ - 11月19日 17:40)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=210&from=diary&id=3720413
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