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2015年11月18日16:59

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カラシニコフの懺悔 11月18日

 下記は、2015.11.18 付の【産経抄】です。

                     記

 1941年10月、ソ連軍のカラシニコフ軍曹は、ドイツ軍の包囲網を命からがら脱出して、軍の病院に収容される。なぜ、近代的な武器が装備されないのか。ベッドの中で考え続け、一つの結論に達した。

 ▼「私の夢はただひとつ、オートマチックの短機関銃をこの手でつくり上げる」(『カラシニコフ自伝』朝日新書)。退院後、銃器の設計者として研究を重ね47年、28歳のときに生み出したのが、自動小銃「AK47」だった。

 ▼扱いやすく、耐久性にすぐれ、安価で製造できるのが特徴だった。やがて開発者の名前で呼ばれるようになる最強の銃の評判は、ソ連や東欧だけでなく、西側陣営にも広がっていく。フランスの新聞は、「20世紀を代表するもの」として、テレビや抗生物質とともに、上位に挙げたほどだ。

 ▼自動小銃「カラシニコフ」は、今や模造品を含めて世界で約1億丁を数えるようになった。テロリストの手にも渡り、毎年25万人の命を奪っているといわれる。パリの同時多発テロでも使われた。犯行グループはフランスの隣国ベルギーに拠点を置いていた。

 ▼首都ブリュッセル郊外の移民が多く住む地区には、旧ソ連やバルカン半島、リビアなどから武器が流れ込み、密売の巣窟となっている。カラシニコフも1丁1千〜2千ユーロ(約13万〜26万円)ほどで、容易に手に入るという。

 ▼カラシニコフ氏は、ロシアの「英雄」として2年前、94歳の天寿を全うした。「祖国を守るために銃を作っただけだ。多くの人々が死んでいる原因は政治家にある」。生前こう語っていたが、実は悔恨の日々を送っていたらしい。「心の痛みは耐え難い」と、ロシア正教会の総主教に、懺悔(ざんげ)の手紙を送っていたことが、死後明らかになった。

 http://www.sankei.com/column/news/151118/clm1511180001-n1.html
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