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2015年10月25日14:13

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第581回 札幌交響楽団定期演奏会

【プログラム】
1 ラフマニノフ: ピアノ協奏曲第3番 ニ短調 Op.30
     〜〜〜休 憩〜〜〜
2 ラフマニノフ: 交響的舞曲 Op。45

【アンコール】
スクリャービン: 2つの左手のための小品Op.9から「第2曲夜想曲変ニ長調」

小山 実雅恵(ピアノ)
広上 淳一(指揮)
札幌交響楽団

《ロビー・コンサート》
コダーイ: ヴァイオリンとチェロのための二重奏曲Op.7より第1楽章
高木 優樹(ヴァイオリン)
石川 祐支(チェロ)

2015年10月3日(土),14:00〜,札幌コンサートホールKitara大ホール


ソリストに小山実雅恵,指揮者には広上淳一を迎えた,10月の定期演奏会は,オール・ラフマニノフ・プログラム。ピアノ協奏曲第3番と交響的舞曲を組み合わせた選曲からは,ラフマニノフらしい超絶技巧とロシア風の重量感を連想する。札響がどのような響きを作り出すのかに興味をひかれる。

「ピアノ協奏曲第3番は,悪い予感が的中した。このピアニストにありがちな,言語明瞭意味不明な演奏の典型。ピアノ独奏にはキズひとつなく,透徹した明晰さがある。この難曲を技巧面でもほぼ破綻なく弾き通し,そればかりか,この作品が要求する力強さも十分に備わった演奏といえる。

問題は,この曲の演奏を通じて独奏者が何を訴えたいのか,そのメッセージが何ひとつ伝わってこない点だ。ラフマニノフの超絶技巧なのか,ロシア音楽の重量感なのか,はたまたロシア文化の憂愁なのか,まったく見当がつかない。そのいずれでもあり,そのいずれでもない,まったく焦点の定まらないピアノ独奏には辟易した。とにかく,楽譜の指示を守ってノー・ミスで弾き通すこと,この一点に集中した演奏にしかきこえない。こういうメカニカルに正確な演奏には,いら立ちさえ覚える。

「ピアノ協奏曲第3番」の演奏では,指揮者もオーケストラも,ソリストを引き立てる役に徹し,ピアノ独奏の邪魔をすることなく,主役について行くことだけを心がけていた。この作品の伴奏をつとめる札響は,「交響的舞踏」の時とは対照的な柔らかくくすんだ音色。

「交響的舞曲」は,ラフマニノフが書いた最後の交響的作品。3つの舞曲で構成されている。当初,「朝」,「正午」,「晩」のタイトルを持つバレエ音楽として構想された。その後,「真昼」,「たそがれ」,「真夜中」と変更されたが,最終的には各楽章のタイトルは外され,「交響的舞曲」という題名の作品となった。自筆譜には「神に感謝する」と記されていて,最後の作品となることを意識していたとされる。

たしかに,舞曲の要素が濃い作品であるが,それ以上にシンフォニックな大作であり,ラフマニノフが持てるオーケストレーションのテクニックのすべてを注ぎ込んだ感がある。壮大なスケールの豪華絢爛たる絵巻である。明るく煌びやかな作品であるが,死の影を暗示するような箇所も散見され,それがこの作品に奥行きとダイナミズムを与えている。

広上淳一は各楽章のオーケストレーションの面白さを鮮明に描き分け,この作品を聴衆に堪能させるサービス精神を発揮する。おそらく,この指揮者の陽性な資質が,明快な表現となってあらわれているのだろう。広上は,第1楽章では木管楽器に多彩な音色の歌を披露させ,極彩色の幻想的な雰囲気を醸し出す。第2楽章では,魅惑的なまでに艶っぽい弦楽器が妖しいワルツを奏でさせる。急―緩―急の三部形式でかかれた第3楽章は,ダイナミックなスケルツォ,メランコリックな中間部,そしてデフォルメされた「怒りの日」が続き,さながらラフマニノフの死の舞踏といえる。

「交響的舞曲」での札響の音色は,いつになく艶めかしく官能的。それが,かえって死の影を連想させる。正直なところ,このオーケストラがここまでの表現力を身に着けているとは予想していなかった。良い指揮者を得たことと,良いホーム・グラウンドを得たことの両方があいまった結果だろう。

この定期演奏会では,札響の予想を超える柔軟性と広上淳一の持ち味が印象に残った。

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