mixiユーザー(id:22439974)

2015年10月23日20:28

568 view

映画 顔のないヒトラーたち

映画 顔のないヒトラーたち

恒例の”ドイツ映画を父(82歳 ドイツ関連の仕事をしていた)と見る!”
以前一緒に見た”ハンナ・アーレント”と対をなすような、
ドイツ人の第二次世界大戦の自らの過ちを深く省みる映画。

1958年フランクフルト、駆け出しの検察官ヨハンは新聞記者グルニカから
アウシュビッツ強制収容所で虐殺に携わった元ナチス親衛隊員が
規則に反して教職に復帰していることを知らされる。
グルニカから収容所の生き残りであるユダヤ人シモンを紹介され、
今までよく知らなかった収容所の様子を知り、
罪に問われることなく普通に市民生活を送っている元ナチス隊員を告発すべく、
被害者の証言を集める。

捜査は困難を極めるが、ユダヤ人で収容所経験者の検事総長、恋人、同僚検事、
優秀なおばさん秘書の協力で少しずつ証拠固めを進めていく。
しかし大物隊員を取り逃がしたり、ヨハンの父やグルニカの過去が明らかになったり、
ヨハンの正義が揺らいでしまう、、、。

まずこの映画の前提である、
日本人でも知っているアウシュビッツ強制収容所のユダヤ人虐殺の事実を、
終戦後わずか13年の1958年の段階で、ドイツ人の若い世代はその地名さえも知らず、
知っていてもただの難民収容所だと思っていたり、
あるものは虐殺はなくあれは敗戦国に罪を被せるプロパガンダだと言い切る人が
この映画の主人公含め多かったという事実に驚きます。

終戦後すぐのニュルンベルク裁判において、
ヒトラーの側近である戦争指導者達を裁くことによって全ての罪は裁かれた、
だからそれ以外の元ナチス親衛隊含め国民は脇目もふらず
戦後復興に邁進するのだと言わんばかりに、過去の清算は終わったと。

その風潮をやぶって実際に虐殺を行った収容所の元ナチス隊員を裁こうという、
その信念、勇気、そして努力が素晴らしい。
映画ではその苦労が丁寧に、そして真相にせまるサスペンスにように描かれ、
すごく引き込まれました。

生存者の語る収容所内の悲惨な証言は最小限にして、
それを速記している秘書の驚きや悲しみで居た堪れない表情で表現したり
加害者を強く尋問する場面では具体的な言葉のかわりに、
厳かな賛美歌のような曲でまるで神からの問いかけのように思わせたりで、
そういったシリアスになりすぎない演出が、
被害者の苦悩の大きさ、そして普通の市民が加害者になってしまう怖さ、
両方の真実の重さを一層強く想像させられました
それらの証言を実際に受け止めなければいけないヨハン達、
さぞかし辛かったことでしょう。そしてそれを裁く作業も。

”親世代を告発するのか” という先輩検事、
一見大人しそう見える元隊員の尋問終了時の捨てゼリフ ”お前もガス室送りだ”
”ただ命令にしたがっただけだ” と言い放つ社会的地位を再度手にした元ナチス高官、
どのセリフもぞっとさせられます。
一方でヨハンの奮闘ぶり、秘書のおばちゃんの人の痛みを感じれる人間味、
同僚検事の熱い正義感には拍手を送りたくなります。

主人公の恋話があったり、
ヨハンが見たシモンの双子の娘が収容所で受けた悲惨な手術の悪夢、
ヨハンの父やグルニカの過去、それを知ったヨハンの自暴自棄な展開などは
日本のベタなドラマみたいではあったけど、
いい具合のメリハリとなり上手くはまっていたと思います。

実際、当時の音楽、ファッション、スタイリッシュな建物、
自然光を生かした映像やカメラワーク含め”ハンナ・アーレント”よりエンタメ性があり、
重いテーマではあるものの、単純に一人の若い検察官の成長物語としても楽しめるし、
誰が見ても共感できる素晴らしい映画やと思います。

この映画を見ると、忘れかけたり、なかったことにされかけた自らの蛮行を
自ら省みたドイツ人は改めてすごいと感じます。
だから、今の周辺諸国から尊敬されるドイツがあるのでしょう。

余談ですが、父はヨハン達が裁判の準備をしていた1961年にドイツに留学しました。
アウシュビッツだけでなく、いろんな収容所でも同様の裁判が行われて、
一度そういう裁判の傍聴にも行ったことがあるそうです。
父曰く、日本人と違って、やはり神の存在、神の赦しを信じる人達だから、
自分達の罪と向き合えるのではないか、と言ってました。
以前、父と一緒に見た”白バラの祈り”のナチスへの反対ビラを撒いたヒロインが
死刑になろうとも、自分の意思を曲げなかったように。

ヨハンがきっぱりという ”嘘と沈黙はもう終わりにする” 
加害の程度をできるだけ過少にする”嘘”、さらには証言さえしない”沈黙”を止める、
加害者として求められる、難しいけど、向かいあわなければいけない真摯な態度です。
人間として当たり前って言えば当たり前。
 
なのに今の日本では、戦後70年も経ってしまい、
2,30年前よりも、過去の過ちをなかったことに、
被害者が少なかったことにしようとしている。
ヨハンたちのような作業はもはや遅すぎるのでしょうか?
加害者が沈黙を守りすぎてどんどん亡くなっていき、
それをいいことに都合のいいことのみを拡散している体験してない世代が増えすぎて。
この映画を見て、どうしても、そう考えずにおられませんでした。

多くの人がこの映画を見て、なにかを感じてもらいたいです。
https://www.youtube.com/watch?v=sXd6q6VvBAY

6 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2015年10月>
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031