■「微生物にかなわない」=創薬の力、大村さん語る―ノーベル賞
(時事通信社 - 10月09日 17:01)
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ノーベル医学生理学賞の受賞が決まった大村智・北里大特別栄誉教授(80)は9日、時事通信社などのインタビューに応じ、熱帯で数億人を救った抗生物質「イベルメクチン」をつくり出した微生物の力について、「人間は微生物にはかなわない」と語った。
受賞が決定した5日夜の記者会見で、「微生物の力を借りているだけ」と謙虚に語った大村さん。微生物は砂糖を一晩でアルコールに変えるなど、「考えられないようなことをしている」と強調した。
大村さんは「今ある薬の過半数は微生物がつくった」と解説。微生物は感染症の薬をはじめ、脂質異常症の薬や抗がん剤などを生んできた。大村さんも、静岡県内の土壌に含まれていた放線菌がつくる物質の中から抗生物質を見つけ出した。
微生物を探し、生み出す化学物質の効果を見極めて薬にする創薬は時間がかかる。現在は石油などから膨大な化合物を合成し、薬の候補となる物質をコンピューターで見つけ出す手法が主流になった。
大村さんは主流の方法だけでは十分でないと指摘し、微生物の利用が「見直されるのが楽しみだ」と締めくくった。
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謙虚という言葉にはどうも、本心は違うけどというニュアンスが隠れている。実って頭を垂れる稲穂かな、もそうだ。
本当は天狗なんてでしょ、でも羹に懲りて、謙虚に振る舞っているんでしょう。頭さげときゃ、バカは勝手にいなくなると思っているんでしょう。みたいな。
重要なことは、”謙虚”という言葉を使っているのが、記事を書いた人間という事だ。当人が謙虚であるのか、卑屈であるのか、敗北感を感じているのか、憧憬 か、尊敬か、幻惑か、そんな事は関係ない。
ただ記事にそう書くことで何かイメージなり色が付く。こういう自分ではなく、他人に色を付けようとする記事は最低中の低であって、マスコミが持つ重要な手法なのだ。
私の印象を、対象の人の人となりや考えとすり替えてしまう。そういう描き方というものが身についている。なぜそうかと言えば、マスコミとは不安をあおる事で商売sにる連中だからである。
誠実な文章では食っていけない、というのが根っこにある。ならば、それを望む大衆の色に染まっているだけではないか、という見方もできる。需要があるから、それに適応しただけだとすれば、その根本にはそれを欲する勢力がある。
ガソリンを投入したのはマスコミかもしれないが、最初から火は起きていたのだ、という言い方もできるのである。
いずれにしろ、既に謙虚と呼ばれる事は褒め言葉のようには聞こえない気がする。もっと威張っていいのに、とか、もっと偉ぶっていいのに、という話である。
なぜそう主張するかと言えば、その方が叩くときに都合がいいからだ。マスコミは常にそういう風にものを考える人種だ。
人間は生きていれば不義理の繰り返しだから、本当は、こんなに話題になどなりたくなかっただろうに。ノーベル賞が、受賞したことが偉いんだ、研究内容などなんだっていいんだという一種のお祭りになってしまって、当人としてはしばらくは迷惑だろう。
ま、幸いにして75日である。いまやそのサイクルはさらに早くなっている。忘れっぽくて、新しい刺激ばかりを欲するのであるから、この話題もあっと言う間に過去へと置き去られてしまうのだろう。
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