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2015年09月26日00:42

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台本は役者の解釈で演技をするのではない

 今日は、演劇ワークショップEAの日であった。
 なぜか、時間を勘違いしてしまい遅刻をしてしまうのであった。


 稽古をしている時である。
 一人の男優がなかなか演技ができないため、先に進むことができない状況であった。
 主宰はその男優と役に付いての話をする。
 そうこうしているうちに、男優は「自分はこの役の家族が不幸に思えない」と強い主張で言ってきたのであった。
 それを聞いたオイラは、オヤ、と思った。
 なぜなら、戯曲はこの男優が演じている役が自分の家族を不幸だと思っているように書いているからである。
 だから、ここで男優が自分の解釈を言ってきて、それを押し通そうとするのは違うのではないのかと。
 そして、男優が演技ができないのも、そこに原因があるんだなと思うのであった。


 昔、通っていた演劇のワークショップの講師が、「いい役者は戯曲通りに演じられる人である」というようなことを言っていた。
 オイラはそれを、一字一句セリフを間違えないというような意味にとらえていた。
 しかし、今日の出来事で、そうゆう意味のことではないんだと思い出しては、演じるということの深さを発見するのであった。

 ただ、この時の話に戻すが、この時の講師は、その時、オイラがメソード演技をやっていたというのもあってか、メソード演技のアンチテーゼを言うために言ったような印象を感じた。

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