> 読み上げたあと、夏目は「いつも自分より周り、そして番組、なによりも視聴者の皆さんのことを一番に考えてらっしゃった、北斗晶さんらしいメッセージだなと思います」と号泣
その他、(現時点での)タイトルにも「号泣」とある。
さて、映像を観ていないのだが、ここ10年の「号泣」という単語の使用例と、経験的常識から推測して、「どうせまた嘘でしょ!」と思う。
本文中には「涙を流しながら」ともあるが、涙についてはそう書いてあるのだから本当に流した可能性のほうが高いと思うけど。
オトナが「号泣」なんて、一生に何度もするものではないし、ましてやそれがカメラのまわっているテレビ番組で、しかもプロが、となればなおさら。
どうも最近は「号泣」という単語の意味が変化してしまった(正確には、「あんまり大勢が頻繁に間違えるから、誤用のほうが圧倒的に登場機会が多くなってしまった」)ように思う。
号泣の「号」は、「怒号」「号令」などと同じく、「大きな声を出す」こと。
どんなに悲しかろうが、悲しそうだろうが、たくさん涙を流そうが、「大きな声で」泣かない限り号泣ではないし、少なくとも私はこの10年のこのテのマスコミ等の表現で、本当に「号泣」していたケースを一つしか知らない。
そう、唯一の「正しい使用例」は、例の野々村議員の「号泣会見」だ。
あれが私の思いつく唯一の、『正しい「号泣」の使い方』であり、同時に生涯で2,3度しか見た覚えの無い、「人間が号泣する姿」でもある。
北斗メッセージに夏目三久号泣、病床から届いた手紙を涙ながらに代読。
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=84&from=diary&id=3630604
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