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2015年09月16日13:21

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北ベトナム・北朝鮮へ原爆投下を模索していたニクソン 「埋もれていた文書」が明らかにする新事実

 下記は、2015.9.16 付のJBpressに寄稿した、 高濱 賛 氏の記事です。

                     記

 米史上最悪のスキャンダルともいうべきウォーターゲイト事件から43年。

 「張本人」だったリチャード・ニクソン第37代大統領が没してから今年は21年目にあたる。すでに忘却の彼方に去った感すらするニクソンが再びスポットライトを浴びている。

 ここ数年、ニクソンが在任中に行ってきた内政、外交に関する国家安全保障会議(NSC)、国務、国防両省、連邦捜査局(FBI)、米中央情報局(CIA)、米軍統合参謀本部などの極秘文書や新たな録音テープが次々と解禁された。

 その膨大な「埋もれていた機密文書」を2人のベテラン・ジャーナリストが徹底検証。その成果が出版されたからだ。

 ベテラン・ジャーナリスト2人が「ニクソンの実像」に迫る

 1人は「One Man Against the World: The Tragedy of Richard Nixon」(世界に歯向かった男:リチャード・ニクソンの悲劇)の著者、ティム・ワイナー。

 ニューヨーク・タイムズの情報機関担当記者としてピューリッツアー賞を受賞、退社後はFBIの内幕を暴いた『Enemies: A History of FBI 』 やCIAの内部に踏み込んでその実態を記録した『Legacy of Ashes』(邦訳『CIA秘録:その誕生から今日まで』)を著している。

 もう1人は『Being Nixon: A Man Divided』(『ニクソンであること:分裂した男』を書き上げたエバン・トーマス。

 24年間ニューズウィーク記者として活躍したのち、ハーバード大学やプリンストン大学で教鞭をとったこともある。著書はロバート・ケネディ元司法長官やドワイト・アイゼンハワー第34代大統領などを題材した力作10冊がある。

 ワイナーは、新たに解禁された文書を基になぜニクソンがここまで違法行為を含む悪事に手を染めてしまったのかを問い詰めている。そして「その悪意に満ち満ちた動機はニクソンという人間の性格から来ているとしか考えられない」と言い切っている。

 一方のトーマスは、「ニクソンのユダヤ人嫌い、人種差別主義、他の人間を一切信用しない疑い深さ、それこそがニクソンという大統領の内政、外政の根源にある」と結論づけている。

 時が経つとともに、米ソ間のデタントや中国との国交樹立など外交面のニクソンの業績を評価する声は出ている。だが、米国民がニクソンと言えば、まず第一に「ウォーターゲイト」を思い出し、その政治手法がアメリカ合衆国の国是とは相容れないと答える。

 ニクソンに対する厳しい見方は定着している。だが、ニクソンはなぜ、そこまで?という疑問は解けないままになってきた。ワイナー、トーマスはそのカギをニクソンの深層心理に求めたわけだ。

 「あのクソ国家(北ベトナム)に核兵器を使ってやるぞ」

 ワイナーが見つけ出した新事実を2、3、取り上げてみたい。

 1972年3月30日、ヘンリー・キッシンジャー大統領補佐官がニクソン訪ソ(同年5月)の露払いとしてモスクワを訪問する直前にニクソンがキッシンジャーに向かって吐き捨てるようにこう言っている。

 「俺はあのクソ国家(goddamn country=北ベトナムのこと)をぶっ壊すぞ。もしそれができれば。俺は真剣だぞ。核兵器だって使ってやる。北ベトナムに住んでいる奴らを震え上がらせてやる(We will bomb the living bejesus out of North Vietnam.)。俺の邪魔をするものは核兵器で脅かしてやる」

 これから会うソ連首脳にそう言ってやれ、と命じているのだ。

 ワイナーによれば、ニクソンは自分が設定した目標を達成するためには何をやらかすか分からないMadman(狂人)だということを印象づけようとした。

 その中には米国防総省の戦争への準備態勢を5段階に分けた「DEFCON 」(Defense Readiness Condition=防衛準備態勢)を実践していたという。それが功を奏したかどうか。少なくともニクソンの脅しは真剣そのものだったのだ。

 米偵察機を撃墜した北朝鮮への原爆報復策

 ニクソンが核兵器使用を検討し、その後実施に移さなかったことを後悔したことがある。

 1969年4月15日、北朝鮮の戦闘機が日本海の公海上を飛行中の米軍偵察機EC121を撃墜、乗組員31人が死亡した直後だ。米国家安全保障会議が緊急招集された。

 2010年5月に解禁された69〜72年の米韓外交機密文書では、席上、撃墜への報復として「北朝鮮空軍施設への空爆」、「軍用空港や発電所への限定的空爆」の2つのシナリオが検討されたことが明らかになっている。

 ところが新たな解禁文書によれば、席上、ウィーラー統合参謀本部議長から北朝鮮に対し広島級原子爆弾の2.5倍の威力を持った原爆搭載のミサイル「オネスト・ジョン」を使用するといった具体的な選択肢まで出されていた。

 原爆による報復措置をとる一方で、ソ連に対しては「アメリカの堪忍袋の緒は切れたというメッセージを突きつけること」を意味していた。

 これに対してキッシンジャーは一応同意しながらも「ロジャーズ(国務長官)は公然と反対するだろう。この反乱はニクソン政権にとって悪影響を与えるでしょう」とニクソンに助言している。

 結局ニクソンは「31人の行方不明者(その後死亡が確定)のために打つ手なし」とため息をつく。北朝鮮に対する原爆を含むあらゆる空爆を断念したのだ。

 だが、その後、アル・ヘイグ大統領首席補佐官に対して、「あの時もっと早く初動段階で断固たる措置をとらなかったことは俺が大統領としておかした最悪な過ちだった」と語っていたという。

 それ以後、ニクソンはウイリアム・ロジャーズ国務長官に対する信頼を失い、自らが事実上の国務長官として陣頭指揮をとり、ロジャーズはお飾り的国務長官にされてしまう。

 対ベトナム、対ソ、対中秘密交渉についてロジャーズには一切知らせなかったという。すべてはニクソン・キッシンジャー・コンビで極秘裏に進められていったのが「ニクソン外交」だったのだ。むろん日本との沖縄返還交渉についてもそうだった。

 ニクソンが信用しなかったのは国務長官、国務省官僚たちだけではない。

 国防総省非制服組などは鼻もひっかけなかった。国際法違反の典型とも言われたカンボジア攻撃(いわゆるホット・パシュート)もすべてニクソンが国防総省官僚を頭越しで統合参謀本部議長はじめ三軍トップへ直接命じて実施された、とワイナーは指摘している。

 ニクソンの攻撃性と独善主義の原点

 こうしたニクソンの攻撃性や独善性はどこから出てくるのか。子供の頃受けたクェーカー教徒の母親の躾もさることながら、ニクソンには異常なほどの自己過信とその自分を受け入れようとしなかった米エリート層への憤りと劣等感があった。

 奨学金を得てのハーバード大学入学も家庭の事情で断念した悔しさ、東部エリートに対する激しい羨望と反抗心。それらがその後の上院議員、副大統領、そして大統領としてのニクソンという政治家を形成していったに違いない。

 選挙公約だったベトナム戦争終結、米軍全面撤退を実現させるために北ベトナムへの空爆強化、カンボジアへの「ホットパシュート」と戦火は拡大していく。

 米国内でのベトナム反戦運動は見る見るうちに反ニクソン運動となって燎原の火のように広がっていく。目の前に迫る再選のための大統領選。ニクソンにとっては『恐怖』の日々だった。酒に明け暮れる日々だった。

 「ニクソンはつねに『恐怖』に苛まれていた。その恐怖は憤りに転化され、その憤りは自己破滅へとつながった」

 「ニクソンは内外での2つの戦争をいやが上にもエスカレートさせてしまった。ベトナムではB52爆撃による空爆を強化、国内では再選を果たすために部下に盗聴、不法侵入、違法捜査、押し込み強盗を指示させた」

 「そして『ベトナム』はやがて『ウォーターゲイト』へと変形していく。ニクソン自身が言っているように『ベトナム』は『ウォーターゲイト』の中に自分の分身を見つけたのだ」

 死後21年経ってニクソンの汚名はそそがれるどころか、より増幅している。

(文中敬称略)

 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/44787
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