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2015年08月30日11:06

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中村天風の目覚めと活動




杉山彦一「中村天風“心身統一法”解説 いのちを活きる」より。

三郎(天風のこと)がヒマラヤの麓の自然の中で、カリアッパ師の指導を受けながら毎日のように瞑想し、自分の心と対峙したのは、自分の命の力に気づくための道筋だった。

ごうごうと耳が割れんばかりに音をたてて落ちる滝の傍や、ときには密林の獣が出没する大自然の中で、ひたすら瞑想を続ける三郎の心に、ある日、流れる白い雲を見つめている自分が、何ものにもこだわっていない無心の瞬間にいることにふと気づいた。

「わが生命は、大宇宙の生命と通じている」。

大自然と一体となって生きている自分の命を感じたとき、自分もその大自然の力そのものだと力強く実感した。

生命は生きて生きて、ひたむきに生きぬくものである。生きぬくために、生命は強い力とすばらしい智恵を保有している。生命は力と智恵を行使して、絶妙な創造活動をする。そして生物は進化し人間は向上するものであると、三郎の眼に宇宙の様相が明確に見えてきた。

かつて三郎が抱いていたこだわりは氷解し、宇宙には目的があり、その方向性と法則性の中に人間は生きなければならないと、すんなりと三郎は了解した。

この聖なる体験を契機として、肺患の青年三郎は、哲人天風に飛躍するのである。三郎を悩まし続けていた結核はいつしかその活動を止め、レントゲン写真の上にただその痕跡をとどめるだけになった。

天風哲学と心身統一法が一体化して成立したのは、大正8年のことである。天風は、すさまじい程の迫力で多くの人を救い、導いた。かつて天風の教えに感動した東郷平八郎は、自ら筆をとって、

神国に哲人出で扶桑の霊海を開く
英雄児女とともにすべて法門に入り来る

(神国日本に哲人が現れ、扶桑(東海の日の出る所)に垂れこめた雲海を開くと、英雄から女の子に至るまでのすべての人が、教えを乞おうとして入門した)。

と称賛した。財界、政界、官界、法曹界はもとより、芸術家、芸能人、スポーツマンなど、多くの人々が入門し、天風の薫陶を受けた。

天風は人々を強化すること50年、92歳でその劇的な生涯を閉じるのである。


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