夏休みも終わりに近づきました。夏休みや連休では小さな子供たちや孫が来て賑やかで、以前、ヨガ教室の珠数宏子先生よりお聞きした話を思い出します。
「来て嬉し 帰って嬉し 孫の顔」
連休中は入れ替わり立ち替わり、孫を連れてきて世話が一杯。食事も茶碗をひっくり返す、こぼすなど大変、寝る時は布団の出し入れも大変・・・・・・。雑用が山のように増えました。
そんな時、教育家の渡辺和子さんの言葉、
この世の中に「雑用」という用はございません。
私たちが用を雑にした時に、雑用が生まれます
を見て、ドッキと胸に響いたものがありました。
そして昔、ヨガの師の沖正弘先生がよく言われていた言葉を思い出しました。
「私は、女性が羨ましい。女性にはいくらでもするべき仕事が広がっていて、自らを磨く機会が無限にあるからだ」。
その通りです。雑用という用はないのです。すべてが必要な用なのです。すべてが自分を磨いてくれるものなのです。
そう思い返した時、用事の一つひとつが、きらりと光って見えてきたのです。
(以上)
そのお話を聞いて、私もふと昭和天皇が「雑草という草はないのです」と言われたお言葉を思い出しました。
昭和天皇の留守中に庭の雑草を刈っていた入江侍従に対して昭和天皇が「どうして草を刈ったのかね?」とお尋ねしたところ、「雑草が生い茂って参りましたので、一部刈りました。」と入江侍従が答えたそうです。
陛下は、そのとき、
「雑草という草はないんですよ。どの草にも名前はあるんです。そしてどの植物にも名前があって、それぞれ自分の好きな場所を選んで生を営んでいるんです。人間の一方的な考えで、これを切って掃除してはいけませんよ」とおっしゃった。
このお話は、入江侍従が後に『宮中侍従物語』(角川文庫)の中で公開し、一躍、有名になりました。
どの草にも名前があり、どの草にも命がある。命どおりに自分たちの生きる場所を選んで生を営んでいる。やっぱり生き物すべてにおいて、自分で生きる場所や道筋を選んで切実に生きている。
名もない雑草に例えられ相手にされない人達がいる。いろいろな人がいるが、どうでもいい人間なんて一人でもいない。
何らか人のために係わって仕事を一所懸命している姿は素晴らしいことなのだ。
見習うべきなのです。
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