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2015年08月21日10:56

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脳は移植できるのかどうか

これが実用化したら、アルツハイマーは脳移植で克服できるのかどうか? 

Aという人体から脳を取り出して、脳死したBという人体に脳を移植した場合は、Bの人体にAの魂が宿るということで皆納得すると思う。

しかし、Aという人体の脳が半分壊死してしまったから、半分を培養脳で補いましたとなった場合、Aの人格は本当にあるのか? というのはかなり怪しくなってくる。

半分ならまだ納得しても、じゃあ8割が培養脳で元々の脳は2割しかありませんという場合はどうなるのか?



また、培養脳に本当に一切人格はないのか? というのも問題になるだろう。

全く神経的なインプットがない状態で培養しても、おそらく脳としての機能はあまり分化が進まず、単なる脳っぽい細胞の塊でしかないから、そのレベルの培養脳を移植してもなかなか脳の一部として定着せず、脳細胞は補ったけれど、脳としては機能しませんでしたとなる可能性がかなり高い。

となると、五感的なインプットや、疑似的な喜怒哀楽や、論理演算刺激も与えて、培養脳細胞に脳らしい刺激を与えてある程度慣らしてから移植する方が定着率や機能復旧率が高くなると思える。

そうした場合、脳になるべく訓練を施した培養脳細胞は、一切人格を持たない単なる細胞なのかどうか? というのがかなり微妙な扱いになってくる。



その問題は、人工知能の扱いをどうするかの倫理観にも影響してくる。

人を人たらしめているものは何なのか、色々議論は紛糾するだろう。



人格と言える知能活動があろうとなかろうと、男女のセックスから始まった自然出産児だけが人で、培養脳(クローンもここに含むと思われる)や人工知能は人ではない。

ということにすると、じゃあ人工授精や、近い将来に出てくるであろう人工胎盤から生まれて来る子は人ではないということになる。

では、どこかから買ってきた精子と卵子を掛け合わせて、人工胎盤で育成した子は、人ではないから家畜や奴隷として扱って良いのか? という問題が出てくる。

人格と言える知能活動があるならば人、と定義すると、人工知能やクローン人間に対して人権を与えるのか? ということになり、これまた揉める。



ラジカル派やリベラル派は、人格的な知的活動という結果があるなら権利を与えようと言うだろうけれど、保守的な人やヒューマニストは、自然生殖・自然出産で生まれた子以外は人ではないと言うはず。

この議論が危険なのは、結果として人格と言える活動が出来るならば権利は平等という論法を持ちだすと、ネイティブ民族と移民の間に格差があるのは許されないとか違憲とかの論争が起きかねないから。

自然生殖・自然出産した方が、より人間らしくて素晴らしいということにしてしまうと、晩婚化により不妊治療として人工授精や代理出産を選択している欧米の白人や日本人よりも、早婚多産なアジア・中東・アフリカ・南米の移民の方が優れているということになってくる。

リベラル方向に知的な人格活動があるならば人として平等としても、保守的に自然生殖・自然出産で産まれた者のみが人としても、どちらにしても人と人の間の格差の議論が触発される。



おそらく欧州諸国は、ネイティブ民族を保護する方向にあっさり舵を切ると思うし、何ごともオレ様ルールな中国やロシアは権力者に都合が良い方向に倫理を捻じ曲げるから、それらの国では大した問題にはならない。

極めて議論が紛糾しそうなのは、移民の寄せ集め国家であるアメリカと、ネイティブ民族よりも移民の権利の方が強い日本だろう。

日本でこの手の議論を吹っ掛ける者が出てきた場合、誰も答えなど出せないし、日本には移民はごく少数しか居ない建前になっているので議論すらあってはいけない。

何をもって人(日本人)とするかの倫理問題は、9条や原発以上に危険な火薬庫に成り得ると思う。



ほぼ完全な人間の脳の培養に成功 5週の胎児に相当 米オハイオ大
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=32&from=diary&id=3575079
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