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2015年08月18日12:04

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地球と人間の誕生について



清水榮一『中村天風に学ぶ絶対積極の言葉」より。

平成8年1月7日午後4時過ぎ、突然異様な震動がしたとき、西の空から東の方へ何物かがスーッと飛んで行った。後の報道によれば、大火球が大爆発音を轟かせて、茨城県の筑波学園都市に隕石の雨が降ったということだ。回収後の重量は1キログラム近いもので、「つくば隕石」と名づけられた。

さらにわかったことは、このつくば隕石は関東平野を流れる利根川を十字に切るように飛んで、守谷(もりや)市の上空を越えて、筑波学園都市に「私の着く場所は此処だ」と言わんばかりに落下した。

「もりや」は、わが国では、神に捧げる供え物を調える所を盛屋(もりや)または盛殿(もりどの)という。「モリヤ」はまた、旧約聖書の創世記にあるように、アブラハムが年をとってようやく授けられた息子イサクを、神の命に応じていけにえとして捧げようとした丘の名がモリヤである。後にそこにはユダヤ教の神殿が建てられたが今は無く、現代ではイスラム教の第三の聖地となっている。

また「いばらぎ」といえば、十字架をかついだキリストの茨の冠を思い出す。

このつくば隕石は、日本に落下が確認された45番目の隕石だということだ。さらに後の報道によれば、つくば隕石は、今からおよそ45億年前、私たちの地球と同じ時期に誕生したものという。私たちのこの地球の兄弟が、45億年を経て、遂に寿命がつきたころ、日出ずる国の日本の大地に、「ぼくの着く場」だといって、落ちてきた。いまこの隕石は、私たち地球に抱かれ眠っている。

宇宙からの訪問者隕石は、私たち地球人にとってはいつの時代も、限りないロマンを感じさせてくれる。この隕石という物体を、細かく分析していくと、最後には原子の集まりとなる。原子はさらに電子と中性子と陽子の三つからなっている。

そこで私たちの肉体の細胞をとって細かく分析していくと、やがて最後は、原子となり、電子と中性子と陽子に到達する。つまり宇宙物質である隕石と、私たち人間は同じ物質で出来ていることになる。

また、45億年前に、私たちのいるこの太陽系の中で、地球が生まれたとき、活発な大火球であったはずだ。燃えさかる地球自身のもつ様々な化学元素から水が発生し、陸と海に分かれた。

その海に、雨あられのように隕石が落下した。隕石が運んできた化学元素と、海の化学元素が溶け合った水が、太陽熱によって何度も蒸発を繰り返して、海が化学元素やガスを含む濃いスープ状になったとき、空中放電による雷光が、天地を轟かせて、海に直撃する。

マグマ、水、隕石、水蒸気、雨、雷光と繰り返し、海と大気と太陽の光を熱に育まれて、およそ10億年経ったころ、静かになった地球の原子の海に、あるとき、ピリリピリリと動くものがあった。恐らく寒天状の半透明の小さな物質。生命の誕生である。今からおよそ36億年前である。

初めは単細胞生物で、長い長い間に、同じく海と大気と太陽の光と熱に育まれて、ようやく6億年前に多細胞生物が出現した。三葉虫、魚類、それから2億年経って、海から陸へ両生類、は虫類、陸には植物があり鳥たちが空を舞い始めた。

やがてほ乳類。初期は、は虫類にいじめられて散々苦労したらしい。そして霊長類、人類ときて、ようやくホモ・サピエンスとしてヒトの歴史が始まる。1万年前のことである。

生命は、それを育む環境、つまり愛と光とエネルギーによって、36億年の間、さまざまな危機を乗り越えてきた。こうして生きて生きて生き抜いてきたその果てに、生命の時間の最前線に、この「私」の生命がある。



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