件の東京五輪あのデザインの話。
この間もちょっと触れたけど、デザイナーであれ作曲家であれ、オリジナリティを追求するのなら、目を閉じて耳をふさいで生活すれば、他からの影響は受けないのだろうけど、それは不可能なこと。
だから、多かれ少なかれ他の作品の影響は、自分が意識していなくとも受けてしまうのはある程度仕方がない。
それを、作曲家の故・黛敏郎氏は自身が司会をされていた「題名のない音楽会」で、「他人の空似」と表現されていた。
ただ、それが同じアーティストで何度も続くと、果たして本当に無意識なんだろうか という疑問も生じてくるわけで。
そういう意味では、今回の東京五輪のあのデザイナー氏は、もう少し考えて行動するべきだったなぁとは思う。
なんでまたこんな話を蒸し返したのかというと、先ほど、とあるTVドラマを観ていて、そのメインテーマらしき旋律が、ジェリー・ゴールドスミスの『スーパーガール』ソックリなのだった。
最初の5音なんて、そのまんま・・・。
おそらく、これも「他人の空似」なんだろうけど、ちょっと気になったもので。
それいうと、巷には「他人の空似」はかなり蔓延しているわけだけれども。
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