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2015年08月16日11:04

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桜に魅せられた男・佐藤良二氏 〜さくら物語〜



中村天風先生は「人間は大した学問をしていなくても、そんなことには関係なく、誰でもひとかどの仕事が仕上げられるようになっている」として佐藤良二さんのことを取り上げています。

その佐藤良二さんの映画の内容がインターネットにありましたので、その記事をもって佐藤さんの概要を説明します。
http://www.ntv.co.jp/shitteru/next_oa/010408.html

“桜”――春が近づくにつれ、桜の開花を心待ちにしている人が大勢いることだろう。
「花」と言えば「桜」と言うように、平安時代の昔から桜は日本人に最も愛されてきた特別な花である。

そんな桜に魅せられ、人生の全てを賭けて、桜を植えつづけた男がいた。
彼の名前は佐藤良二。彼は名古屋から金沢まで、全長260キロを走る“名金線”と呼ばれる国鉄バスの車掌であった。

「太平洋と日本海を桜で結ぼう」

彼が夢見たのは、自分の乗るバスが走る道路沿いに桜を植え、名古屋から金沢まで続く桜並木を作ることであった。それは、5万本の桜を植えるという、途方もない夢であった。

家族や周囲の人に非難されながらも、給料をつぎ込み、暇さえあれば桜を植え続けた良二。しかし、志半ばにして病のため倒れる。

彼が桜を植え始めた昭和41年から亡くなるまでの12年間に植えた桜の木は2000本にもなる。

彼はなぜ、桜を植え続けたのか?
そして彼が、桜に見た夢とは何だったんだろうか?

佐藤良二は昭和4年、長良川の上流、奥美濃の小さな町、岐阜県白鳥町に3人兄弟の末っ子として生まれる。
昭和7年、良二が3歳のとき、母のたきが風邪をこじらせ33歳の若さでこの世を去る。以後、父の仁助が男手一つで3人の子供を育てた。

わずかな田畑を耕しながら、母親がわりに炊事、洗濯、針仕事までこなす父は3人の子供たちにいつもこう言って聞かせた。
「人様の喜ぶことをせないかんのや。ぼろを着て社会に尽くせ。」
この言葉は、父を尊敬していた良二の胸に深く刻み込まれていったのである。

昭和20年、17歳の良二は国鉄に就職し、昭和28年、正式にバスの車掌となる。

しかし、そんな良二が本当に憧れていたものは映画俳優であった。
そこで、良二は鼻の整形手術をして俳優試験を受けるが書類選考で落とされてしまう。
夢と自尊心を砕かれた良二は、自殺を考えるほど人生に何の希望も持つことが出来ず、車掌の仕事も投げやりなものになっていった。

自分は何のために生きているのか・・・
尊敬する作家・武者小路実篤を訪ね、教えを請うたり、自らの生きる意味を検索していた、昭和36年、尊敬していた父が亡くなる。
「人様のためになることをせないかん」いつもそう言っていた父。良二はこの時、はじめて父の言葉の意味を理解し、そのように生きることを誓うのである。

そんな時、良二はその後の人生を大きく変えることとなる、ある光景を目にする。

昭和35年岐阜県を流れる庄川に東洋一の「御母衣ダム」が完成。
そこにあった360の集落がダムの底に沈む運命にあった。その中に樹齢400年をこえる大きな2本の桜の木があった。

しかし、何とかこの2本の木を救うことが出来ないかという人々の思いによって2本の木の移植工事が行われた。困難を極めた桜の移植は見事成功し、桜が満開の花を咲かせた3年後の春―――

ダムの底に村が沈んで、ばらばらになった村人たちが桜の木の下に集まり花見をし、再会を喜びあった。

その最中、一人の老婆が立ち上がり桜の幹をなではじめ、木にすがりつきながら声を上げて泣きはじめたのだった。
この光景が、良二の心を大きく揺り動かした。
「桜はええなあ。強くて優しくて、人の心を呼ぶんや」
そして、昭和41年春、良二はバスの出発点でもある名古屋の営業所の前に1本の桜の苗木を植えるのである。

それ以来、良二は暇さえあれば桜の世話をし、家族や周囲の非難の中、良二は一人黙々と桜を植え続けた。

しばらくすると協力してくれる人も出始め、良二が持っていた人様のためやるんだという気負いも消えていった。
「かわいらしい桜の苗木を取り囲む人の喜ぶ顔を見るのが嬉しい・・・」

車掌としての良二も以前とは別人のように、客に接するようになりみんなに愛される名物車掌となっていた。

しかし、桜を植えはじめて5年目の昭和46年秋、体の不調を訴えた良二は「血管免疫芽球性リンパ節症」と呼ばれるガンの一種の難病だと診断される。

それでも、周囲の心配をよそに、病気で弱った体でとりつかれたように桜を植え続けた。
「時間がない。ふるさとを俺は桜の花で飾るのだ。そして、俺は枯れ木のように死んでもいい・・・。」

昭和51年、良二は47年の生涯を閉じた。
しかし、良二が思い描いていた桜街道の夢は同僚や家族に受け継がれた。
そして、現在、教科書や映画で紹介された良二と桜のことを知った多くの人によって、良二の夢は続いている・・・。

自分の生きる意味を真撃に問いかけ、夢に向かって懸命に生きた佐藤良二。
その生涯は私たちに多くのことを語りかけてくれることと思う。






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