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2015年08月14日08:48

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中村天風・師との出会い


中村天風は不治の病といわれた弄馬性肺結核に冒され、救いを求めてアメリカ、ヨーロッパ、インドなど、世界の3分の2の地域を遍歴しました。しかし、各地で教えを請うても、なんの救いも与えてくれませんでした。絶望の果てにあったとき、天風氏が出会ったのはヨガの哲人カリアッパ聖者でした。

以下、神渡良平「宇宙の響き」(致知出版)によります。

三郎(天風のこと)の乗った船はアレクサンドリアに廻航し、そこで一週間待つことになった

そこでホテルを取ったが、その朝大吐血があった。事が起きたのは、その後である。

三郎はふらつく足を踏ん張りながら食堂に行った。何か食べなければ体に悪いからである。そこにインド人がいて、一人静かに食事していた。紫色のガウンを着た60がらみの人である。

料理にはハエがいっぱいたかっている。その人もハエを追いながら食事しているかと思いきや、違った! 飛んできたハエをギュッと指さすと、動かなくなるのだ。すかさずお付きの人がつまみ上げて、脇の灰皿に投げ入れている。
(アリャリャリャ、宮本武蔵のようなことをするな)
と見とれていると、三郎を呼んだ。

「こっちにおいで!」
喜色を満面に浮かべ、懐かしそうな眼差しである。しかもその目がキラキラ輝いて力がある。不思議な平安が彼を包んでいた。

(この人は誰だろう。かなり霊的にレベル高い人に違いない)
三郎は呼ばれるままにテーブルに移った。

「お前さんはどこに行くんだ」
「日本に帰るんです」
「わしの見るところ、お前さんは、胸に重い病を持っている。それを持ちながら故郷に帰るのは、死にに帰るようなもんだ」。

三郎は驚いた。なぜ、この人は自分が肺病病みだとわかるのか。確かにいまにも死にそうな青白い顔はしているだろうが、病巣が胸にあることはわからないはずだ。不思議な気がしたが、老人に答えた。

「私は自分にやれることは全部やり尽くしました。でもよくならないんです。どうせ助からないのなら、日本に帰って死にます」。

答えながら、その人から何かなつかしい感じがただよっていることに気づいていた。不思議な感覚だ。大切に真綿でそっとくるまれている感じだ。初対面のような気がしない。ずーっと昔から知っているような感じだ。

「お前さんは大事なことに気がついていない。それに気がつけば、死ななくてすむ! どうだ、それを知りたいか。知りたかったら、わしについて来るがよい」。

「!」

青天の霹靂だった。それまで死にたくないと思って、必死に解決策を求めた。しかし、万策尽きて、仕方なく故郷に帰って死のうと思っていたのだ。

「お前さんは助かる !  死ぬことはない」。

そのあまりにも断定的な言い方に、三郎は感動した。血を分けた兄弟でも感染を恐れて近寄らない肺病人である。素人目にも三郎は明日をもしれぬ状態だとわかるのに、「お前は助かる!」と断言するのだ。当時、肺病は空気伝染すると信じられていたから、肺病人の家の前を通るときは、鼻をつまみ、息を止めて足早に通っていたほどだ。信じられないことだった。

――この先生の発している気は何だろう。不思議な温かさと威厳。この人は自分が知らない何かを知っている。それを摑めば病気は回復するという。

「サーテンリー(かしこまりました)。ついて行きます。どこへでもついて行きます」。

そう答えた自分が、ある意味では不可解だった。相手はどこの誰ともわからない、旅先で偶然出会った人である。疑ってもちっともおかしくないのに、疑いは少しも起きなかった。不思議に人を信用させる何かを発していた。だから、ついて行くことに決めたのだ。

カイロで出会い、紅海を南下してインド洋に出、万里の波頭を越えてカラチで上陸、熱砂の砂漠を横切って、いよいよインドに入った。カリアッパ師は三郎にインド名を与えた。オラビンダである。以後、私も三郎をオラビンダと呼ぶことにする。

インドの夏は暑い。
連日40度を超す暑さで、さすがインド人もぐったとなって、菩提樹の蔭に横たわるか、家に帰って昼寝する、したがって、人っ子一人いない。町はゴーストタウンと化してしまう。

カリアッパ師一行も日中は休んだ。ラジャスタン地方に出て、はじめ象を見た。インドを抜け、遠くヒマラヤが見えるようになっても、旅は続いた。

「先生、ここはどこですか?」
自分がどこにいるか、知りたかった。でも、カリアッパ師から短く、
「ここはお前がいるところだ」
と返ってきただけだった。

「あ・・・・」
オラビンダは驚いた、今! ここ! 生きているのは今、ここだけ、昨日でもなければ、明日でもないのだ。

近代的知性は将来を見通して現在の計画を立てる。全体を俯瞰して東西南北を確認し、今いる位置を確認しようとする。それはそれでいいことだが、予測がつかないはずの全体を捉えようとして、生きている今を失ってしまう場合もある。

・・・・これがヨーガの聖者の発想か! 明日でもない、昨日でもない、今、あそこでもない、そこでもない、ここ! ・・・・

以来、オラビンダは「どこに行こうとしているんですか」とは聞かなかった。考え方を変えたのだ。

以下、略。



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