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2015年08月13日14:16

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中村天風「積極的に生きるとは」

清水榮一『中村天風に学ぶ絶対積極の言葉」より。

積極的に生きるとは、奪い合うことではなく、、肯定的に生きること、それは愛に通じるものです。


厚かましく図々しく強引で、何でも押し通していこうとするのは積極とはいわない。こういう人は、自分のことしか考えない。恥知らずで、エゴ(我=が)が強いだけの人だ。

また事の善し悪しを考えることなく、自分の都合の好いように解釈して猪突猛進、向う見ずに突っ走っていくのは、積極ではない。こういう人は、ただ蛮勇を振り回しているにすぎない。

さらに、相手より儲けたい、相手より成績を上げたい、相手よりきれいになりたいといって頑張るのは、頑張らないよりましだが、積極とはいえない。
いつも相手を意識しており、相手を意識している限り、心はつねに相手に傾注し奪われたままで、自分を失ってしまう。
こういう人の姿を相対的積極とよんでいる。

真に積極的に生きるということは、絶対積極の心で生きることだ。絶対積極とは、絶対の存在である宇宙真理を基準とし、宇宙真理に即して生きることである。

宇宙真理の姿は、真と善と美である。それは私達の日常生活のレベルで言い換えれば、誠と愛と調和である。従って宇宙真理に即した絶対積極の生き方とは、誠と愛と調和の心をもって生きることである。

誠は、言葉と心が一致することである。誠は信に通じる。信は言行に矛盾なく疑わないことをいう。そして誠は真言(まこと)でもある。それは真実の言葉、真理の言葉であって、絶対的な宇宙真理との言行一致をいう。

自然は決して偽ることはない。愛は、言葉の原義からいえば、ひそやかにめぐむ心の働きである。ひそやかとは、他人に目立たせることなく、自分のこととして、自らの犠牲によって行なうことである。余った物を恵むのは愛の行為ではない。自分の思考や欲望を満たすことは愛ではない。

自分の損得を抜きにして、肯定的に相手を受け入れる心、いたわる心、思いやる心、情けの心、ものをあわれむ心、慈悲の心である。自然は、太陽の示すように全てに公平である。

調和は、全体がうまくつり合い整っていること。世の中には色々な人がいる。しかもひとりの人も、その時その場所その状況によって、様々に異なった、時には矛盾した行動に出ることもある。

今日は、一人一色でなく、一人十色(といろ)の時代だ。従って、十人いれば十人十色ではなく十人百色となる。

調和は、十人を一色にすることでなく、十人十色を、ほど良い加減をもってうまくつりあうように和らぎ合い、整えることである。ほど良いというのは、うつりが良いということであって、それは譲り合う心から生まれるものだ。

絶対的な積極の心をもって生きるには、日頃よりいかなる場合であっても、明るく朗らかに生き生き溌剌颯爽と、強く正しく清く尊く生きることだ。

強くとは、何事も肯定的進取的な言動をとること。

正しく清くとは、心身を統一して、自然法則と順応して心身一如の生活様式を築くこと。

尊くとは人の喜びをわが喜びとして生きることである。
このような積極的な生き方を全体的に発現すれば、「気に入らぬ風もあろうに柳かな」と中村天風は言う。





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