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2015年08月08日20:26

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「日本のいちばん長い日」レビュー&ロケ地

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本日、映画「日本のいちばん長い日」を観てきました。
昭和20年、日本の敗戦が濃厚となった4月より長崎に原爆投下とソ連参戦の8/9そして終戦前夜の8/14の御前会議等を描いた作品。
今作は陸軍大臣の阿南惟幾と首相の鈴木貫太郎・叛乱を起こした陸軍省の青年参謀の畑中少佐に重点をおいた感じのためか、阿南惟幾は単なる徹底抗戦派ではなく、暴発しそうな陸軍省の青年参謀たちをいかに抑えるか苦悩する大臣。そして、父としての姿を描いた感じになってましたね。
作品は内容的にある程度端折らざるを得ない感じなので、目まぐるしくシーンが変わって話の筋を追いづらい点はありましたが、総じて面白かったです。
ただ、ポツダム宣言受諾に関しての阿南陸相と米内海相との激しいやり取りがあまり描かれなかったのは残念かな。特に米内光政や東郷茂徳があまり描かれなかったのも残念。
ともあれ、もう1回また見たいかな。もう1度くらい見直さないと全体像がつかめないし。

さて、この映画においてさまざまな場所がロケ地に使われてましたが、
京都や舞鶴のロケ地が多かったためか行ったことのある場所や知ってる場所が多くてそれも気になってましたw

ロケ地については公式サイトにいくつか紹介されてますが、
http://nihon-ichi.jp/about/location.html
以下、私が行ったことのある場所について書いて見ます。
あと、こちらも参考にしました。
http://www.maizuru-kanko.net/pamphlet/nihonichi-map.pdf
(PDFファイル)

○旧舞鶴鎮守府長官舎
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通称・東郷邸。作中では首相の鈴木貫太郎邸として使用。
舞鶴鎮守府の鎮守府長官の官舎として建てられた建物。
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玄関には初代舞鶴鎮守府長官の東郷平八郎元帥の肖像画があります。
これは映画でも登場しましたが、所有者の海上自衛隊舞鶴地方総監部の要望でしょうか。
○京都府庁旧本館
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作中では陸軍省本庁舎。京都府庁旧本館は明治37年建築で重要文化財。
現役最古の庁舎にして明治の都道府県庁舎としてほぼオリジナルで残る数少ない建物であり、唯一明治期の議場が残る貴重な建築物。
作中で東條英機が木製のドアをバーンと開けるシーンがありましたが、
結構ハラハラしましたw
ちなみに、本物の陸軍省だった建物は東京市ヶ谷に一部ですが保存されています。何故そちらを使わなかったのだろう。
○旧清水小学校
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京都市東山区にあった小学校。作中では陸軍省軍務課のオフィス。
畑中少佐以下青年将校の参謀たちが勤めていた場所。
清水小学校は行ったことありますが、写真が見つからなかったので他所からお借りしました。すいません。
○旧舞鶴海軍需品庫需品庫
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舞鶴赤煉瓦倉庫群の一つ。重要文化財。
作中では海軍省仮庁舎。空襲により海軍省本庁舎が被害を受けたため、仮庁舎として使用されたという設定。
使われたのは一般公開されている建物ではなく、文化庁所有の倉庫。
この赤煉瓦倉庫は非公開でかつ整備されておらずオリジナルのままなので、内部が見れるのはある意味貴重かも。
○北吸浄水場配水池
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眼下の北吸桟橋に停泊する海軍艦艇に水を供給する施設。重要文化財。
作中では宮城内の御文庫地下壕への地下道として使用。
一般公開の時に見学したことありますが、煉瓦と石で組まれた構造物は古代遺跡の神殿のようで雰囲気ありました。あと、涼しかったw
○海軍第三火薬廠隧道式地下火薬庫
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作中では陸軍省の地下壕として使用。
東舞鶴の朝来地区一帯にあった海軍の火薬廠の施設の一つ。
トンネル式の火薬庫は大規模なもの。
写真の火薬庫入口は塞がれてますが、撮影時は反対側から入ったのかも。
内部を見たのは初めてでした。これを機に一般公開されるなら見に行きたい。
○海軍第三火薬廠覆土式火薬庫
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海軍第三火薬廠の施設の一つ。作中では首相官邸の防空壕として使用。
陸軍省地下壕として使用された隧道式火薬庫とは違い、コンクリートで構築した後上から土をかぶせて埋めて作られた構造になってます。
外観だけの撮影だったようですが、ここは火薬廠跡地で整備などされておらず、火薬庫前は湿地帯になってしまっているのによく撮影したなぁと。
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以前、近代化遺産見学会の時に同行した時に撮影したものですが、
内部はかなり広いです。サッカー場くらいの広さはあるらしい。
○京都御苑
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作中では宮城内として使用。ここを攻め行った反乱軍将校たちが駆け抜けてました。京都のものとしては馴染みの場所なので多少違和感がw
○葦谷砲台跡
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作中では宮城内警備司令所の壕として使用。
ここに叛乱軍が陣取り、放送局や宮内省の侍従を拘束して玉音盤のありかを尋問。
元は明治期に陸軍が舞鶴湾防衛のために構築した砲台跡で、舞鶴には各所に残されています。
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煉瓦と石での構築物なので現在もしっかり残ってますが、それでも今は廃墟状態と言える感じなので、撮影時は大変だったかと思いますね。
舞鶴には5つほど明治の砲台跡が現存し全て訪問しましたが、比較的残りが良くかつ5つの中ではアクセスしやすい場所として葦谷砲台が選ばれたかと思います。

こうしてみると舞鶴のロケ地が多いですね。相当熱心に誘致したのかも。
その他にもロケ地として使用された個所があるようですし、
舞鶴へよく行く私としてはロケ地巡りという楽しみができた感がありますが、陸軍省など当時の建物が現存している場所に関してはその建物を使って欲しかったかなと。特に近衛師団司令部は外観に関してはそのまま残されているわけですし。
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