【プログラム】
1 ショパン: アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ Op.22
2 ショパン: ピアノ・ソナタ 第2番 変ロ短調 Op.35「葬送」
〜〜〜休 憩〜〜〜
3 リスト: ハンガリー狂詩曲 第6番 S.244−6
4 リスト: ピアノ・ソナタ ロ短調 S.178
《アンコール》
リスト 「愛の夢」から第3番変イ長調
ショパン: 「12の練習曲」Op.10から第12番ハ短調「革命」
辻井 伸行(Pf)
2015年7月1日(水),18:30〜,旭川市大雪クリスタルホール
この公演は,7月1日から26日にかけて,全国10か所で開催された辻井伸行の全国ツアーの初日。「プレミアム・リサイタル」と銘打たれたこのシリーズは,「日本が世界に誇る音響抜群のクラッシック専用ホールで開催されるリサイタル・ツアーで,辻井伸行の繊細で美しいピアノの響きと,世界が驚嘆するテクニックとを余すところなく堪能できる,まさにプレミアムなコンサート」(リサイタルの「プログラム」から引用)がコンセプト。
ちなみに,他の9会場は,札幌コンサートホールKitara小ホール,函館市芸術ホール,軽井沢大賀ホール,豊田市コンサートホール,三井住友海上しらかわホール,紀尾井ホール,福島市音楽堂,いずみホール,ノバホール。紀尾井ホールのみが2公演。いずれも,中規模の音楽専用ホールが,演奏会場に選ばれているようだ。
辻井伸行の演奏を聴くのは今回が初めて。別に避けていたわけではない。かといって,抜群の人気を誇る彼の演奏会のチケットをなにがなんでも手に入れたいという強い思い入れがあったわけでもない。だが,少なくとも一度は聴いてみる必要があると思っていたのも事実。今回,そのチャンスが巡ってきた。ご多分に洩れず,この公演もチケットは,早々に売り切れたらしい。
抜群の知名度や人気を誇る日本人演奏家の中には,率直に言って,世界の一流アーティストに匹敵する実力をともなっていない音楽家が少なくない。評判と実力とが一致しないのは世の常であるが,興行の世界では,なおさらこのような傾向が強くなるのは止むを得ない面もある。辻井伸行に関しても,このような側面を完全に否定することはできないにせよ,そうはいっても,こうした要素だけで切り捨てることもフェアーではないように感じていた。この点を直に確かめたい気持ちは以前からあった。
今回のリサイタル・ツアーで,辻井伸行が選んだのはショパンとリストの作品。いずれもピアノのヴィルトゥオーゾで,辻井の好みを反映していると同時に,彼の持ち味を十分に発揮できる選択のように思う。さらに踏み込んだ見方をすれば,ショパン以上にリストとの相性が好いのではないだろうか。というのも,辻井伸行は,毎週土曜日の夜10時からオンエアーされるテレビ東京の「美の巨人たち」のオープニングとエンディングのテーマを作曲していて,この番組のテーマ音楽を聴くたびに,辻井の音楽性はリストに通じるところがあるように感じていたからだ。
まず,この日,いちばん印象に残ったのは,アンコールで弾いた「愛の夢第3番」。弱音で弾いた箇所は,この上なく美しかった。リストの音楽の中でも,抒情味豊かなこの作品が辻井の音楽性に最もふさわしいようだ。リストの「ピアノ・ソナタ」も悪くはなかったが,辻井の演奏からはこの作品の前衛的な面がそっくり抜け落ちている。20世紀の音楽を先取りするような先進性の代わりに,19世紀のロマンチシズム一本槍の演奏で,なにか時代がかった解釈と言えなくもない。「ハンガリー狂詩曲第6番」は,超絶技巧を前面に押し出した演奏であるが,少し粗くなってしまった。多少乱暴な言い方になるが,おそらく,辻井伸行の内面に潜む音楽性そのものが,19世紀風のロマンチシズムに近いのだろう。
ショパンの「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」も,ハンガリー狂詩曲に劣らず,ヴィルトゥオージティ全開の演奏だった。たしかに,演奏には粗い面もあったが,ショパンの作品の中に流れる感情の表面をなぞるような演奏がとても気になった。比較的若い時期に書かれたこの作品は,ショパンの作品の中でもとりわけ深い情緒を湛えているわけではないが,辻井の演奏には作品の底流に流れる感情の襞に届かないもどかしさがある。この点がより明瞭になったのが,「ピアノ・ソナタ第3番」。典型的なのが,有名過ぎるほど有名な第3楽章「葬送行進曲」だ。もちろん,技術的なキズはなくテンポも絶妙だ。しかし,音楽に重みが感じられず,沈痛な表情にも乏しい。「愛の夢」のように小手先で何とかなる作品とは違い,現在の辻井の音楽的世界が,ショパンの作品が持つ深く広大な情緒の世界をカバーしきれていない,そのような印象を受ける。
このリサイタルも含めて,これまでに見聞きした情報を総合すると,辻井伸行には彼自身の確固たる音楽的な世界がある。だから,その世界を自分の音楽で表現するために,作曲にも手を染めているのだろう。だが,辻井が演奏家として揺るぎない地位を固めるためには,自分の殻を破る必要があるのではないか。つまり,作品を自分の世界に引き付けて表現することに加え,自分の世界から抜け出して,作品の世界に自分を合せる姿勢も欠かせない。
このリサイタルを聴いて,人気や知名度だけのピアニストではなさそうなことはわかった。アシュケナージ&フィルハーモニア管やゲルギエフ&マリインスキー劇場管弦楽団との共演,ロンドンのプロムスやサンクトペテルブルクの白夜音楽祭への出演,カーネギー・ホールでのリサイタルなどは,たんなる偶然や幸運の賜物でなく,自力で勝ち取った成果だ。ただし,これからも,世界の一流の演奏家に伍して,第一線で活躍し続けるためには,大きな壁を乗りこえることが不可欠のように思う。そのためには,自分の殻を破って,新しい世界を切り拓くことにチャレンジし続けなければならない。これからが正念場であり,そのことを自覚しているか否かがひとつの鍵になるだろう。もちろん,そのような途を選ばない自由も彼にはあるが。
ルーブル美術館に展示してある「モナ・リザ」は,多くの観光客にとって一度見れば気が済む。同様に,知名度や人気に魅かれて聴きに来る客の多くは,目新しいものを求めて移り気になりやすい。かといって,現状ではコアなファンを継続的に惹きつけるだけの懐の深さはなさそうだ。とにかく,アーティストとして活躍し続けるためには,人間的に成長し続けるしかない。才能に恵まれたアーティストゆえ,この難題に直面していると感じた。
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