mixiユーザー(id:1598446)

2015年07月30日22:54

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幸福の黄色いハンカチ

あるイベントで、スクリーンで観ることになった。

場所は尼崎のシネコン。
二人まで観覧できるので、母を連れてゆく。
母は、近年映画を見る機会はあったものの、シモコンは初めてだという。
物珍しそうに観察している。

「幸福の黄色いハンカチ」は高校生時代に学校でテレビ録りしたものを観た記憶がある。
もはや時効だから言うけれど、無版権で見せていたのだ。
その後も何度か見ているし、筋は簡単なので、展開は読める。

ところが、これも語り口の美味さで、古典落語と同じ。
何度見ても飽きない。

普遍的なものがあるのだ。
普遍的だからこそ残っている。
ただ、映画は落語と違って同じネタで何度も何度も稼げるわけではない。
確かに、リバイバルされれば権利者にいくらかの収入はあるけれど、微々たるもの。

同じものは基本的にもう作れない。
よほど変えないと、新作を作る意味がない。

作り手にとっては、消耗する消費材を作ったほうが、また同じものを作れるわけだから、消耗しない普遍的な作品を作るのは自分で自分の首を絞めているようなものなのではないか?

白々しく同じことの繰り返しができる戦隊もののような勧善懲悪は、消費材としてつくりつづけることができるだけビジネスに向いている。


閑話休題

「幸福の黄色いハンカチ」を観ていて、ひどいところはカット割りからBGMまで頭に残っているけれど、再発見がいまだにあるというのも凄い。
時代的に万博が閉じ込められていたり、全国区ではないイトーヨーカドーを見つけてみたり(笑)

色々とセリフや画面に貼られた伏線に気づいたり、終盤に向けてのキイワードとなる「黄色」が実は全般には排除されているんじゃないかと思えてみたり、デリケートなまでに「黄色」を配置したレイアウトを組んでいたり・・・

母は、釧路や網走、夕張に旅行に行った時の風景の記憶が蘇ってきたようで、ボソボソと想い出を口にしていたようだ。

健さんは亡くなられたし、武田鉄矢は金八先生の前だし、遥か遠い昭和が閉じ込められた映画。

明らかに私が若い頃に面白いと思った箇所と違うところに引っかかるところがいっぱいあることに気づいた。

今の若い人にも、どこか引っかかるところはあるんだろうか・・・などと思いながら、シネコンを後にした。



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